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3755. 観察と振る舞いの変化


時刻は午後の七時半を迎えた。今日もまた、一日がゆっくりと終わりに近づいている。

昨日と同様に本日も、充実感を感じられる一日であった。確かに、早朝は少しばかり活動エネルギーの減退を感じていたが、午前中の早い段階で仮眠を取ったおかげもあり、それ以降は、活動エネルギーが回復していた。

今日はこれから、夜の作曲実践を行うのではなく、過去の日記の編集の続きを行っていきたい。せっかく今は、編集の流れに乗っているのであるから、この機会を逃すことなく、一気に編集を進めていく。

この調子だと、明日か明後日には、未編集の日記がなくなりそうである。未編集の日記がなくなれば、それ以降は再び読書や作曲実践に多くの時間を充てることができるだろう。それを見越して、今夜はまた編集を続けていく。

今日は一日を通じて晴れていたにもかかわらず、夕日を見そびれてしまった。だが、目を閉じてみると、心の中で優美な夕焼けを眺めることができた。私たちは、いつでも夕日の輝きを眺めることができるのだ。

夕方に日記を編集している時に、量子は観察されることによって振る舞いを変えるということについて改めて考えていた。これは実に面白い現象である。

量子には、人間とは異った形の意思があるのかもしれない。人間が観察をすることによって、量子の意思はそれに反応し、振る舞いを変えていく。

量子と同様に、私たちの自己も観察されることによって、振る舞いを多分に変えていくという性質を持っているだろう。自己を育てていくためには、何よりも観察をしてあげることが重要なのだ。言い換えると、自己に気づきの意識を与え、自己の振る舞いを変容させていくことが重要なのだ。

今このようにして書き留めている日記もまた、自己を観察するという大切な役割を果たしている。日記を書くことを通じて、絶えず自己に気づきの意識を与えて行こうと思う。

そして、それによって新たに現れた振る舞いを観察し、再び自己を変容させていく。そのような循環的な気づきのプロセスがここにある。

明日は、もうほとんど日記の編集が完了しているだろうから、再び教会旋法や音楽理論に関する書籍を読んでいきたい。繰り返しそれらの書籍を読み、得られた知識を実際の作曲実践に活用していく。

ここでも、作曲理論を学ぶ自己、および作曲実践をする自己を絶えず観察していくことが重要だ。その日に自分は一体何を学び、どのような実践を行ったのか。その実践を通じて、一体何が得られ、次に何を試そうと思っているのか。そうしたことを逐一言葉の形にし、それをさらなる自己観察につなげていく。

気づきの意識を与えられることによって、絶えず自己が振る舞いを変えていくのであれば、私の自己は随分と忙しく動いているかもしれない。しかし未だかつて、絶えず運動を続ける自己から悲鳴が聞こえてきたことはないため、まだまだ観察が足りていないのだろう。

明日もまた、絶え間ない観察を行う一日となるだろう。フローニンゲン:2019/1/31(木)19:47

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