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3754. 創造エネルギーの減退と回復


時刻は午後の三時半を迎えた。一日も折り返し地点に差し掛かった。

今日はこれまでのところ、過去の日記の編集に力を注いでいた。編集の勘所を掴み、ここ数日間はかなりの量の編集を行うことができている。

本日もすでにかなりの量の編集を行ったが、今日はまだ時間があるので、編集を進めていきたいと思う。今朝は起床してしばらくすると、憂鬱さの破片が自分の内側に存在している感覚があった。

それが影響してか、作曲を行うエネルギーがあまり沸いてこなかったが、一時間ほど過去の日記を編集していると、創造エネルギーが湧いてきた。日記の編集によって思わぬ形で創造エネルギーを得ることができたことは興味深い。

そもそも自分の日記は、過去の自分が創造エネルギーを発揮して生み出した産物であり、一旦文章の形になったとしても、そこにはまだ創造エネルギーが生き続けているのではないかと思う。それゆえに、過去の日記を読み返すことによって、創造エネルギーが自分の内側に注入されたという現象が起きたのかもしれない。

今は幸いにして、創造エネルギーが通常通りとなった。これから夕方の作曲実践を行い、その後にまた過去の日記の編集を行いたいと思う。

先ほど改めて、健全な自己批判と適切な自己矯正の大切さについて考えていた。それらは共に、発達や学習にとって不可欠な要素である。

探究活動と創造活動を普段行う際には、常に健全な自己批判と適切な自己矯正が働いているかを確認したい。それらがなければ、何も深まっていかないだろう。

今日は午後に太陽の光を随分と浴びることができた。もちろん、外に出て直射日光を浴びたわけではなく、書斎の中に降り注ぐ太陽の光の暖かさを感じていたことに留まる。

何よりも、太陽の光が目に見えることそのものが、どれほど自分に活力を与えてくれることか。本日の最高気温は3度であるが、全く寒さを感じない。それも太陽の光のおかげだと思う。

昨日、私が仮に今後博士課程に進学するとすれば、その際の探究テーマは霊性と死(ないしは死生観)に関するものになるだろうと改めて考えていた。そうしたテーマを扱うためには、何よりも自分自身をさらに深めていく必要がある。

そうしたことを考えると、博士課程に進学するのは必然的にしばらく後になる。私が過去に師事していたオットー・ラスキー博士は二つの目の博士号を60歳を超えて取得しており、成人発達の大家の一人であるスザンヌ・クック=グロイター博士も60歳を迎えてから博士号を取得している。

別に彼らを意識する必要はないが、自分の関心テーマが霊性や死生観にあるのであれば、博士課程への進学を焦る必要は全くないことがわかる。それらのテーマを扱って博士論文が執筆できるまでに自己を深めていくことが先決だ。霊性と死生観については、これからゆっくりと探究を続けていく。フローニンゲン:2019/1/31(木)15:57

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