時刻は午後の七時半を迎えた。つい今しがた夕食を摂り終えた。
一月最後の日曜日がゆっくりと終わりに近づいている。今日の午前中は雨が降っていたが、夕方に雨が止み、黄金色の美しい夕日を眺めることができた。夕日の輝きにも表情があり、時間の推移に応じて、その表情は豊かに変化していった。
ぼんやりと、夕日の輝きを眺める心のゆとりが夕方にあった。日々はこうしたゆとりと共に着実に進行している。
今日もまた、ライフワークに邁進するような一日であった。過去の日記の編集もはかどり、これまでほぼ毎日20本ずつ編集をしていたこともあってか、昨日あたりから突如として編集のコツのようなものが掴め、作業がより効率的に進むようになった。
気がつけば、今日は100本ほどの編集を行っていた。来週もまた、今日ほどまでとはいかなくても、これまでよりも効率的な形で編集を進めていきたいと思う。
バルトークの作曲技術に関する書籍の再読が終わったので、本日より、“A Concise Explanation of the Church Modes (2018)”を読み始めた。本書は教会旋法に関する書籍だ。
本書を一読することによって、そこからは積極的に教会旋法を活用した作曲実践をしていきたい。最初は実験的に、シンプルな構造の曲を作っていく。
その実践に向けて、近日中に、作曲ノートに教会旋法に関するまとめを書き留めておこうと思う。こちらは、作曲理論に関するまとめをするためのノートであり、作曲実践を実際に行う時の補助ノートとはまた異なる。
補助ノートとは、作曲をする際に、曲の番号や調号などを書き留めたり、コードや試したいアイデアを書き留めたりするために使っているノートだ。こちらのノートが、気がつけば一冊目が終わりそうになっている。
作曲実践を本格的に始めて、早いもので一年と数ヶ月経った。今このようにして、一冊のノートが終わりに向かっている様子を眺めると、実践を小さく積み重ねてきたことを知る。
これからも小さな積み重ねを継続していく。決して大きな積み重ねではなく、実験的な積み重ねを絶えず行っていく。
就寝までにまだ時間があるので、もう少し上記の書籍を読み、本日最後の作曲実践をその後に行いたい。
本日もふと、学校教育や伝統的な大学で慣習的な教育を受けることは、創造力を枯渇させかねないということについて考えていた。過去に、ある種狂気的とも言えるほどに創造活動に従事した画家や作曲家は、伝統的な教育の枠組みに収まって実践をするような人物では決してなかった。
伝統的な学術機関に守られる形で優れた作品を残した画家や作曲家は多数いるが、狂気的ないしは病理的なほどに創造活動に取り憑かれた人をほとんど知らない。この狂気的ないしは病理的とも言えるほどの創造活動こそが、自分が心から従事したいと思っているものだ。
学術機関で作曲に関するトレーニングを受けていないということは、そうした創造活動に従事する可能性を残してくれている。あとは、自らで技術の基礎を固め、絶え間ない学習を自らに課していくことが必要になるだろう。
学術機関で提供されている知識やトレーニングは体系立てられており、非常に緻密な構造を持つことは確かだ。だが、そうした特性が逆に制約となり、個人に宿る固有の創造的狂気を希薄化させてしまっているように思えてくる。
私は、何としても自分の内側にある創造的狂気を諸々の制約から守り、むしろそれを大きく育んでいきたいと思う。フローニンゲン:2019/1/27(日)19:53
No.1618: A Running Snowman
I feel at this moment in the early morning that a snowman is running, doing a comical and energetic dance. Groningen, 07:35, Monday, 1/28/2019