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3712. 課題創出のための実践:芸術鑑賞の観点


時刻は午後の七時半を過ぎた。つい先ほど、本日の夕食を摂り終えた。

昨日に引き続き、今日も良い天気であった。今日の夕方に夕日を眺めていると、昨日の優雅な夕暮れが思い出された。それほどまでに、昨日の夕日は素晴らしかった。

二日連続でこうした夕日を眺めることができ、とても幸福な感覚に包まれている。

いよいよ寒さが厳しくなり、室内にいてもその寒さが伝わってくるようになった。窓の外を眺めると、枯れ木たちが寒さを物ともせずに凛として佇んでいる姿が目に入った。彼らの勇姿から、いろいろと受け取るものがある。

先ほど夕食を摂りながらふと、日々の作曲実践や読書という行為は、何か課題を解決するために行っているというよりも、新たな課題を創出するために行っていることに気づかされた。

これと似たような気づきは以前にも浮かんでおり、その際にもそれを書き留めていたように思う。今日もすでに二回ほど作曲実践を行ったのだが、そこでは、事前に試してみたいことを試すことをまず行っていた。

それはある意味、既存の課題を解決するために行った実践だと言えるだろう。しかし、いつも作曲実践をしていて興味深く思うのは、実践をすると、必ず次の課題が見つかることである。

「課題を発見する」というよりもむしろ、「課題を創出している」と述べることができるかもしれない。実践は課題を解決するためにあるのではなく、より本質的には、新たな課題を生み出すためにあるのだと知る。

そこに、発達の原理である課題の自己組織化現象を見て取ることができる。言い換えれば、既存の課題は新たな課題を生み出し、そのことによって既存の課題は解決されていくのである。

これは読書においても当てはまることだろう。読書においては、確かに事前に課題意識を持って読み始め——課題意識が事前にないものは読書とは言えない——、その課題を解決するために文章を読み進めていくが、読書の醍醐味は課題の解決ではなく、ここでもやはり課題の創出にあるのだと思う。

読書においても、新たな観点を獲得したり、既存の課題を解決したりすることに加えて、課題を創出していくという点が本質にあるようだ。真に私たちを深めてくれる読書とは、まさにそうした絶え間ない課題の創出をもたらしてくれるものなのだと思う。

今日はその他にも雑多なことを考えていた。その一つとして、芸術家の発達段階と、その芸術家が表現しようとしている世界観の段階を混同しないように注意するというテーマがあった。

私は普段から、様々な芸術家の音楽作品や絵画作品に触れているが、その際に、様々な発達領域を考慮しながら、彼ら自身の発達段階と、彼らが生み出した芸術作品が体現している世界観の発達段階を考えてみることがよくある。

時に、ハッとさせられるような、極めて高次元の世界観が作品に体現されていることがあるが、その際に、それをもってそうした作品を生み出した芸術家自身の発達段階が高度なものだと錯覚しないようにしなければならない、と改めて考えていた。

端的には、仮に芸術家の主体としての自己がそれほど発達していなくても、高次元のリアリティを映し出している、客体としての芸術作品を作ることもできるのである。主体と客体の混同をしないようにすることの大切さを改めて思い、この観点は是非とも今後の芸術鑑賞の際に意識しておきたいと思う。フローニンゲン:2019/1/21(月)20:00

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