私は日常、全くと言っていいほど悩みはないのだが、実はこの三年間悩んでいることが一つある。
四年前に米国から一度日本に戻ってきた時、一年ほど東京で生活をしていた。東京で生活をし始めたある日、「そういえば、企業人を辞めてからスーツを新しく購入することはなかったな」ということをふと思った。
米国で暮らしていた時も、日本企業との協働プロジェクトがあったのだが、その時はもちろん、物理的にクライアント先に行くことはなく、スーツなど着る必要がなかった。しかし日本に帰ってきてから、クライアント先や企業で講演をすることなどが増えてきたため、「オーダーメイドのスーツでも購入しよう」と、ある日思った。
前職時代に来ていたスーツは全て既製品だったのが、どうせ新しくスーツを購入するなら、これからは全てオーダーメイドにしようと考えていたのである。東京のあるオーダースーツ専門店に行き、そこで色々とスーツについて話を伺ってみると、スーツの世界が実に奥深いものであることがわかり、そこからはかなりスーツについて調べた。
様々なブランドの生地を試してみようと思い、最初は三着ほどオーダースーツを作ってみた。店で体の大きさを測ってもらっている時から感じていたが、自分の身体にフィットしたスーツというのは、心の有り様を随分と変えてくれるのだと感心した。
そこから私は、その一年でもう二回ほど同じ店に通い、気がつけば合計で10着ほどのオーダースーツを作っていた。どのオーダースーツもそれぞれ、生地やボタンなどのちょっとした箇所に愛着があり、スーツが出来上がってからは、それを着ることが一つの小さな楽しみであった。
東京にいた一年間も、私は基本的に外に出ることは多くなく、近所のスーパーや、ランニングとして近所の公園や神社に行くだけであり、企業に足を運ぶことも二、三週間に一回ぐらいの回数であった。そうしたこともあり、作ったオーダースーツをそれぞれ数回程度しか着ておらず、中にはまだ一度も外で来たこともないものも一着ほどある。
そうこうしている間に、私は日本を離れ、オランダで生活を始めた。オランダでの三年間において、スーツを着る機会など皆無であり、覚えている限りで言えば、二年前の大学院の卒業式の時に一度だけ、ロロ・ピアーナのオーダースーツを着たことを覚えている。
そう、この三年間抱えていた悩みとは、せっかく作った10着のオーダースーツを全く着る機会がないことなのだ。
私は普段から算術癖があり、例えばオーダースーツを着る時には、購入価格とこれまで来た累積回数から、その日一回あたりのスーツ使用料を必ず計算してしまう。10着のスーツはそれぞれ、イタリアとイギリスを代表するメーカーのものであるから、1着の値段は結構なものである。そうしたことを考えると、これまでの一回あたりのスーツ使用料は極めて高い。
今から数ヶ月前に、普段着として愛用していたパンツを洗濯した後にアイロンをかけた時、間違って高温の設定にしてしまい、デリケートな生地が熱で溶けてしまった。それは本当に愛用してたパンツであったから、なんとか修理できないものかと思い、フローニンゲンの街のクリーニング屋兼修理屋に持って行ったところ、「これはもう無理ですね」と言われてしまった。
そうしたこともあり、普段着として着れるパンツが一着減ってしまったことも悩みであった。また、その代わりとして新しいパンツをフローニンゲンのアパレルショップで購入しようとしたところ、最も小さいサイズでも大きすぎであり、店員の気さくな男性が、「私はオランダ人でもかなり小さい方で、178cmぐらいしか身長がなく(日本人男性に置き換えると、165cmか166cmぐらいのイメージ)、店で売られているものがほとんど合わないんです。だから普段着もオーダーメイドのものが多いです。お客さんも、オーダーメイドか、あるいは子供用のものを購入することをお勧めします」とご丁寧に述べてくれた。
結局私は何も購入しないまま——サイズの都合上、何も購入できないまま——、その店を後にしたのを覚えている。そこでふと、「そういえば、スーツを普段着として着るというのはどうなのだろうか?」と思ったのである。
実はこのアイデア自体は、オランダに来てから何回か芽生えていた。というのも、せっかく作った10着のスーツがクローゼットの中で眠っているのが少し可哀想に思えることがあったからだ。
そこで調べてみると、結論としては、スーツを普段着として着ることは悪くないことがわかった。ただしいくつか条件があるようであり、インナーや靴などをカジュアルなものにすれば良いということがわかったのである。これは私にとってとても朗報であった。
色々と調べてみると、「スーツを着崩す」という概念が存在するらしく、それはインナーや靴などをカジュアルなものにすることによって実現されるらしい。また、私はリュックサックを背負うことも多いので、それは「外す」という概念に該当し、スーツを着崩すという条件の一つであるようだ。
次回街中に外出するのは、火曜日であり、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行く。この日に雪が激しく降っていなければ、早速、「スーツを着崩す」という実験をしてみたい。
今の私は、メルヴィンの店に行く以外に外出をする機会はほとんどなく、近所のスーパーと行きつけのチーズ屋に行く時にはさすがにスポーツウェアで十分だと思う。そうなってくると、スーツを着崩す場面は少ないが、今後の生活地において、あるいは日本に一時帰国する際などは、スーツを着崩す形で外界に出て行こうと思う。
この三年間抱えていた小さな悩みが解消されたことは喜ばしく、ようやく役目を果たせる10着のスーツたちも喜んでくれるだろう。フローニンゲン:2019/1/20(日)20:48