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3698. 冬の輝き


時刻は午後五時半を迎えた。今、夕日が沈み、これから闇夜が訪れる。

一月も半ばとなり、随分と日が伸びたように感じる。もちろん、これまでがあまりに短すぎたのかもしれない。

とはいえ、日が伸び始めていること、そして太陽の姿を拝む日が増えていることは、本格的に寒くなってきた今日この頃においては朗報だ。

今から一時間半ほど前に、行きつけのチーズ屋に立ち寄った。チーズ屋の店主も、いよいよ寒さが厳しくなってきたと述べた。

これから三月を迎えるまで、寒さのピークが続く。だが、上述の通り、その分晴れの日が増え、日が伸びてくることはとても喜ばしい。

夕日が沈む姿を眺めていた時、それはどこか、空の舞踏場で踊っているかのように見えた。また、夕日の下で、私たち人間も含めて、多様な生物も踊っているかのように思えた。

チーズ屋に足を運ぶ前に仮眠を取っていたのだが、その最中に作曲をしている自分がいた。目を閉じたまま、心の中に浮び上がる心象イメージを通じて作曲を行っていたのである。

実際に、作曲ソフトの画面が心の中に現れて、そこで音を並べている自分がいた。数日前の日記で書き留めたように、夢の中でも作曲をしていることが最近あった。

このように、自分の深層的な意識の中に作曲実践が流れ込み、音楽世界が拡張していることを見て取ることができる。

先ほど辻邦生先生の日記を読みながら、自分が作曲をしているのは、やはり日々の中に生の歓喜を見出すためであり、そしてそれを形として残しておくためなのだと思った。あるいは、自己及びこの世界を純粋に映し出す仏法を見出すために作曲実践を行っている言い換えてもいいかもしれない。

自己を純粋な存在に近づけていくために、自己の内側から湧き上がるものを絶えず形にしていく。そうした積み重ねが、自己の純粋化を促し、存在を光に近づけていく。

辻先生は、仏法とは存在の光であると述べている。その点を考慮に入れると、作曲という営みは、自己を光に近づけていくための行為であり、同時にそれは、仏法に至るための行為であるとも言えるだろう。そのようなことを先ほど考えていた。

これから夕食までの時間を使って、ハーモニーに関する書籍と、できればメロディーに関する書籍を読み進めていきたい。夕食後に、本日最後の作曲実践を行った後にも、時間を作って二つの書籍を読み進めていく。

それらの書籍を読むのは、作曲上の観点を得るためであり、実際に作曲で活用できないような知識を肥大化させることではない。そのため、適度なところで二冊の書籍から離れ、就寝前はゴッホの手紙の続きを読み進めていこうと思う。フローニンゲン:2019/1/18(金)17:44

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