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3679. 教育と創造


今日も一日がゆっくりと終わりに近づいている。日記を少し書き留めたら、本日を締めくくる作曲実践を始めたい。

夕食を摂っている時にふと、過去に創造に次ぐ創造を成し遂げた偉大な芸術家は、正規の教育を受けていないか、正規の教育を忌避していた傾向にあるのではないかとふと思った。

作曲に関して創造に次ぐ創造を成し遂げたのは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどがすぐに思いつき、もちろんその他にも列挙したい作曲家はいたのだが、彼らが正規の教育をどれほど受けていたのかについて改めて調べてみた。

もちろん、三人とも音楽に関する教育を身内の人間なりから受けていることは確かであるが、学術機関のような場所で音楽を学んでいるわけではないようであった。

絵画の世界においては、ゴッホやピカソの名前がすぐに思い浮かび、ゴッホについては正規の教育を一切受けておらず、ピカソに関しては美術学校に通ってはいるものの、16歳の時には学術機関のような場所で絵画を学ぶことに見切りをつけ、退学をしている。

もちろん、学術機関のような場所で正規の教育を受けたにもかかわらず、創造に次ぐ創造を実現させた芸術家はいるのだろうが、それを実現させるのは以外と難しいのではないかと思った。そのようなことを考えていると、下手をすると学術機関のような場所で創造行為に関する事柄を学ぶと、想像力と創造力が枯渇してしまう現象が起こるのではないかと考えていた。

おそらく、芸術に関する学術機関というのは、過去に成し遂げられた事柄を理論化し、それを伝えていくことに重きが置かれており、それがもしかしたら、創造に次ぐ創造を実現させるエネルギーを抑圧してしまうのかもしれない。

私は現代の作曲家や画家をほとんど知らないので、これはあくまでも直感的なものだが、現代において、創造に次ぐ創造を実現させている芸術家が少ないのは、彼らは一様に、学術機関において正規の教育を受け、創造エネルギーが抑圧されてしまったからなのではないかと思う。

当然ながら、こうした抑圧されたエネルギーを再度解放することが、おそらく本物の芸術家なのだと思うが、一度抑圧されたものを解放することは以外に難しいのかもしれない。創造行為に関して爆発をしている芸術家をあまり見かけないこの現代社会において、芸術教育の意味と方法について改めて考えさせられる。

これから作曲実践を始める前に最後に書き留めておきたいのは、時空間に関する理解を深めていくことは、それと不可避な関わり合いを持つ音楽に関する理解を深め、時空間の中に生きる人間存在に対する理解を深めていくことにもつながる、ということである。これは夕食前に芽生えた考えだ。

近いうちに、ハイデガーの“Being and Time”を読み進めていきたい。もはや、人間発達の探究と音楽の探究は何一つ境目のないものになりつつある。そもそも最初から、両者は密接な関係を持つ主題なのだとすら思うようになっている。

音楽の探究は人間発達の探究につながり、逆もまた然りである。また、哲学を学ぶことは、音楽と人間発達に関する理解を深めていく。今、それらの密接なつながりが見え始めている。

それでは、それら三つを統合的に探究して行った先に何が待っているのか、何が見えるのかに関しては、今の私にはわからない。だが、そこにはきっと何かがありそうだ。フローニンゲン:2019/1/14(月)20:01

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