時刻は午前11時を迎えた。数時間前から雨が降り始め、今もまだ雨が天から降り注ぎ続けている。
つい先ほど、フローニンゲンで生活をして三年が経つというのに、書斎から見える目の前の通りの名前を知らないことに気づいた。通りの名前を私は早速調べてみた。
すると、目の前の通りは、「フリジアン通り」という名称であった。フリジアというのは、フローニンゲンから西に行ったところにある地名であり、そこはオランダ語のみならず、フリジア語という独特の言葉を公用語として生活をする人たちが住んでいる。
もしかしたら、目の前の通りは、「フリジアに続く道」という意味で「フリジアン通り」と名付けられたのかもしれない。
今日も相変わらずの天気の悪さだが、こうした気象条件の厳しさが、自らの精神を鍛練して行ったことについて先ほど考えていた。ちょうど先ほど、窓際に近づき、ぼんやりと外を眺めていると、昨年の夏に訪れたヘルシンキの記憶が蘇ってきた。
ヘルシンキのホテルでサウナに入っていた時の自分を思い出したのである。そこから私は、この七年間の欧米生活は、サウナから水風呂に入り、水風呂からサウナに入りといったように、気候条件が極端に異なる地域を転々としていることに気づいたのである。
特に、サンフランシスコからニューヨークに移り住んだ時の記憶、ニューヨークからロサンゼルスに移り住んだ時の記憶、ロサンゼルスから一年間日本を経由して、北欧に近いこのフローニンゲンにやってきた記憶が自然と思い出された。
こうした生活環境がまるっきり異なる地域を転々とすることに応じて、そのたびごとに、自ずから精神が鍛練されているように思えたのである。環境が人を育むということを強く実感する七年間だ。
私はそれぞれの居住地で、そこでしか育まれぬものに触れ、それを通じて自己を涵養してきたのだと思う。今年の夏からは再び生活拠点を変えようと思っており、次の生活拠点がいかなる場所であったとしても、私はまた、その土地でしか育まれぬものに触れ、それを通じて自己を育んでいくことになるだろう。そのようなことを先ほどぼんやりと考えていた。
昼食までの時間を使って、辻邦生先生の日記の続きを読み進めていこうと思う。先生の日記を読みながら、改めて、自らの日本語をもっと鍛練していく必要性を感じた。
それは自らの文章を書くことでしか鍛えられないのと同時に、自己そのものをさらに深めていくことでしか成し遂げることのできないものである。絶えず日記を執筆し、自己と日本語の双方を涵養していく試みにこれからも従事し続けていく。
こうした営みは、多かれ少なかれ、必ず自分の作曲技術の涵養にもつながってくるはずだ。なぜなら、作曲とはまさに、自分の存在を通してなされるものであり、生み出される曲は自己を映し出すものに他ならないからである。
自らの日本語を涵養していくこと、自らの作曲語法を確立することの双方において、結局は自己をより深めていくことが重要になるということに改めて気づかされる。フローニンゲン:2019/1/12(土)11:22
No.1566: A Dance of a Pigeon with Purplish Plumage
A pigeon with purplish plumage is beautifully dancing. Groningen, 12:01, Sunday, 1/13/2019