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3665. 道(タオ)


時刻は正午を迎えた。午前中の仕事に一区切りつけ、そろそろ昼食を食べようと思う。

今朝方の夢の中で、私は大学時代の先輩が詠んだ詩に深く感動していた。夢の中の身体であるサトルボディーから涙がこぼれることの不思議さについて改めて考えていた。

エネルギー体が涙を流すことへの驚きの感情があったが、むしろエネルギー体であるからこそ、感動の原形質をより強く受け取ることができるのかもしれないと思った。

偶然なのだが、実は昨夜の就寝前に、詩を書きたいという思いが湧き上がっていた。それは決して本格的なものでなくてもよく、日々作っている曲に添える程度の詩について思いを馳せていた。

そのようなことを考えていたことが、もしかしたら今朝方の夢に影響を与えていたのかもしれない。いずれにせよ、自分の内側で芽生えた、詩を作りたいという思いを大切にし、厳密な詩でなくてもいいので、これから少しずつ詩作の道を模索したいと思う。作曲、絵画、そこに詩がいよいよ加わろうとしている。

日々の出来事をメモするように、日々の出来事から喚起された諸々の事柄を日記に綴っていくように作曲を続けていく。それ以上の目的はない。そのような考えを改めて持った。

今朝も一曲ほど作曲をした。午後からも十分な時間を取って、バッハに範を求めて作曲をしたい。

今天気予報をを確認すると、幸いにも、今日は夜まで雨が降らないようなので、昼食後しばらくして仮眠を取ったら、行きつけのチーズ屋に足を運びたいと思う。

昨日の就寝前にも、少しばかりゴッホの手紙を読み進めていた。ちょうどゴッホが、ジャン=フランソワ・ミレーに影響を受け、ミレーの作品を熱心に模倣している時期の日記を読み進めていた。

ゴッホも自分の絵画技法を獲得するために、ミレーをはじめとして、様々な画家の作品を模倣していたのだ。

弟のテオに宛てた手紙を読むにつけ、ゴッホが絵画道(タオ)を歩んでいたことがわかる。絵画も音楽も、それに従事する者自身を涵養していくという点において、それらの実践は道(タオ)に他ならない。

ゴッホは手紙の中で、自分を捉えて止まない対象に対して小さなデッサンを無数に描いていった。小さな実践と小さな積み重ねが持つ価値と尊さについて改めて思う。

作曲実践においてもそうだ。日々小さな実践を積み重ねていくことが、いかに大切かを改めて肝に銘じる。

一つの日記、一つの詩、一つのデッサンを描くように小さな曲を無数に作っていく。まとまりのある曲を作っていくのはその後の後、そのまた後だ。

とにかく無数の小さな曲を日々作り続けていくということ。それを長く継続していった先に、今の自分では全く想像できないような世界が開かれていくのだと思う。フローニンゲン:2019/1/11(金)12:13

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