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3653. この地にやって来たこと


時刻は午後の三時半を迎えた。今日は相変わらず風が強い。時折雨が降り、強風と相まってそれは地上に強く降り注いでいた。

今は雨が止み、遠くの空の雲間に夕日の輝きが見える。数羽の鳥たちが、強風に煽られながらも懸命に空を飛んでいる様子が見える。彼らの様子を眺めていると、逆風と戯れているかのようだ。

不思議なことに、少しばかり意識を自己から離脱させ、鳥の内側に入ってみると、鳥が空を飛んでいる時の感覚がわかるような気がしてくる。

今日のこれまでの時間はどのように進んで行ったのかを改めて確認してみると、普段と何の変哲も無いものであった。自らの人生として自らの人生を生きることだけがそこにある。

午前中、協働プロジェクトに関するレビューがはかどり、夕方にもう少し取り組めば予定通りの進捗状況となる。明日はまた、そのレビューの続きに従事したいと思う。

今日の昼食後には、他の協働者の方たちとのオンライン勉強会を終えた。これからゆっくりと夕方の取り組みを始めていく。

ぼんやりと窓の外を眺めていると、突然の気づきとして、自分がオランダにやって来た意味の一端が見えたように思えた。この地にやって来た意味、そしてこの地で三年間を過ごした意味は、醒めの体験を積むことにあったようだ。

醒めを体験した対象については諸々があるが、一つは自ら科学研究をなすことに対する醒めの体験を挙げることができる。私はこれまでの科学研究で培った知識や技術を今後も何らかの形で活用していくことになるだろう。それは確かだ。

そうした知識や技術というのは、この世界に還元していく一つの貴重な財産であり、それを共有していくことは自らに課せられた責務であると思う。一方で、私はもう、伝統的な学術機関に所属しながら科学研究に従事していくことはもはやないのだと思う。そうしたことを行うことにはもはや関心はない。

醒めの体験というのはまさに、伝統的な学術機関でなされる科学研究に対して、そこで語られているものが何であり、それはいかような世界観や価値観に立脚するものなのか、そしてそこで語られていないものは一体何なのかに対して明確な気づきを得た体験だと言えるだろう。そして私にとっては、そこで語られないものこそが自分にとって大切なものであった。そうした気づきを得るために、私はオランダに来たのかもしれないということを先ほど考えていた。

そろそろ夕方の取り組みを始めていこう。これから作曲実践を行い、その後、上述のレビュー業務の続きに取り掛かる。今この瞬間の自分は、フィンランドの作曲家が残した曲を参考にしたい気持ちがあるので、彼らの作品のいずれか一つに範を求めて作曲実践をしようと思う。今日も一日が、そして人生全体が、目の前を吹く風のように、そしてその風に乗って空を舞う鳥のように過ぎていく。フローニンゲン:2019/1/8(火)15:42

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