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3648. 「ティール組織」のブームの背後にある発達論的消費行動(その2)

January 9, 2019

時刻はゆっくりと午後三時に向かっている。外は雨が降っており、書斎の窓から見える雨を眺めながらぼんやりと考え事をしていた。

 

今日はこれから作曲実践を行い、その後、協働プロジェクトに関する仕事を進めていく。作曲実践をする際には、いつもその瞬間の自分の状態から、直感的にどの作曲家のどのような曲に範を求めるのか決定している。

 

先ほど、机の上の書見台に、ラヴェルの楽譜を置いた。ラヴェルのいずれかの曲を参考にしながら作曲をしようと思う。

 

その前に、先ほど考えていたことに関する続きを書いておこうと思う。先ほどは、「ティール組織」のブームの背後にある、人々の消費行動について言及をしていた。

 

それは、現代社会に広くみられる発達段階から生まれる行動特性の一つだと述べていたように思う。結局彼らは、自己の存在を呪縛している物語に気づくことができていない。そして、その物語は社会的に構築されたものである。

 

そうした物語の中で彼らは、あらゆる学習や実践を、既存の物語の中でいかに成功するかという発想のもとで行っていく。これは文字取り、「あらゆる」学習や実践である。

 

確かに私は日本の外にいるため、実際のところはどうなのかはわからないが、様々な知人の方から話を聞くと、巷では、瞑想実践、ランニング等を含めたエクササイズ、睡眠、なんとアート(芸術)に至っても、「できるビジネスパーソンのための〜」「エグゼクティブのための〜」のような名の下で書籍化され、それらの実践がことごとく、既存の物語の中で成功するための消費対象に成り果てているようである。

 

諸々の学習項目や実践を一つの消費対象と見なし、既存の物語の中での成功を奨励するような書籍の内容を見て、疑問を持たない読者もいかほどかと思う。例えば、「瞑想によって心を整え、整えられた心を持って今よりも効率的にもっと働き、もっと金銭を獲得することを推奨するようなメッセージが含まれているのではないだろうか?」「ランニングによって身体をみっちり鍛え、これまでの身体では過労死をしてしまいそうなところを、それに耐えうる身体を作り、金銭獲得に向けてもっと働けるようになることを促しているメッセージが含まれているのではないだろうか?」「週末にアート(絵画・音楽)を鑑賞し、創造性を養うことによって、もっとカネにつながるサービスやプロダクトを明日から生み出していけるようになりましょう、あるいは、アートによって涵養された創造性を持って、自らの年収を高めていけるようになりましょう、という類のメッセージがそこに含まれていないだろうか?」という疑問を投げかけられるかどうかが大事になると思うのだが、世間を見る限り、そうした疑問が芽生えることはおろか、上記の諸々の実践を、既存の物語の中の成功に結びつける形で一生懸命消費していく姿しか見えないというのが正直なところだ。

 

現在監訳中のウィルバーの書籍の中で、「所与の神話」(myth of the given)に関する話題が取り上げられていた。まさに、現代という時代をたくましく生きていくために必要なのは、既存の物語の中で成功するための能力ではなく、さらには、カネを稼ぐための能力でもないのではないだろうか。

 

そうではなく、自らの日々の意思決定・行動のすべてが、実は社会的に構築された「所与の神話」に過ぎないことを見抜く力を養っていくことにあると思う。でなければ、例えば、瞑想によって穏やかな心を獲得した状態で過労死に向かうように懸命に働き、ランニングやエクササイズによって鍛えられた健全な身体を持って過労死に向かうように懸命に働き、芸術鑑賞によって養われた創造性を持った状態で過労死に向かうように懸命に働くという奇妙なことが起こってしまだろう。

 

今、それを「だろう」という推量表現で書いたが、それはもう現実に起こっている。しかもどうしようも無いほど大規模に。

 

「所与の神話」を見抜くことが大切な点については、私の知人の何人かの方たちも認識してくださっているようであり、実際にそれをブログやSNSを通じて発信してくださっている方もいる。一方で、そうした方たちから、どうしたものかと嘆きの声が聞こえてくることがある。

 

それは何かというと、結局彼らの主張は、社会の物語の中で生きる人々には聞く耳を持ってもらえないということだ——おそらく私がここで書いていることもそうだろうが。

 

現在監訳中の書籍の中でウィルバーが述べているように、自己は既存の発達段階に強く同一化する特性を持ち——まさにそれゆえに安定した精神生活を送れると言えるのだが——、自己はその段階の世界観をまるである特定の宗教を信奉するかのように、その世界観に懸命にしがみつこうとする。しかもそれは、自分の強い情動と愛着が反映される形でなされる。

 

実際のところは、このプロセスは、発達の階梯が続く限り無限に続くのだが、現代人が縛られているのは社会的に構築された世界観、それも金銭獲得に強く吸引された金融資本主義的な世界観であることが、上述のように、ありとあらゆる学習や実践を、直接的にせよ、間接的にせよ、さらなる金銭獲得に向けた形で行ってしまうような現代の状況を作り出しているのだと思う。

 

そうした状況の中で、いかほどの充実感と幸福感が見出されるのだろうか。カネで買える充実感や幸福感というのは、間違いなくある特定の発達段階から生まれるものであるため、それらが存在することは確かである。同時に、そして明らかに、カネでは買えない充実感や幸福感が、それ以降の発達段階から生まれるということに私たちは無知でありすぎはしないだろうか。

 

カネで買える充実感や幸福感は、ひどく限定的なものであることに気づくことが必要であると強く思うのは私だけだろうか。あるいは、充実感や幸福感というものが、現代においてはもはや、所与の神話のもとに消費対象に成り下がってしまっているのかもしれない。フローニンゲン:2019/1/7(月)15:16

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