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3638. 現代の諸々の技術との向き合い方について


時刻は午後の四時半に近づきつつある。今、小雨が降りしきる様子を眺めている。

先ほど少し休憩をしたので、これから夕方の仕事に取り掛かりたい。今日は午前中に、監訳中の書籍の翻訳のレビューを終えた。

ただしこれは、全七章の本文に対するレビューを終えただけであり、まだ注記へのレビューが残っている。これから注記のレビューを始めていきたい。

できれば今日中に、一章から三章までの注記に対してレビューを行い、残りの四章から六章(七章には注記はない)までのレビューを明日行いたいと思う。注記のレビューが終われば、レビューに関してはひと段落となる。

あとは私の方で、「はじめに」と巻末の解説文を執筆していきたいと思う。それは来週の月曜日と火曜日にかけて行う予定だ。

先ほどふと、世間ではAIやブロックチェーンの技術の活用にかなりの熱を入れているようだが、大きな視点で見れば、それは原始人が火を活用し始めた程度のこと、あるいは棍棒を使い始めた程度のことと変わらないのかもしれない、と考えていた。

それぐらいに、私たちの今眼の前に現れている現象というのは、特定の時代背景によって出現したものに過ぎず、それらにあまりにも前のめりになって熱を入れるというのは幾分滑稽に思える。もちろん、AIやブロックチェーンの技術は今後より実用化が進めば、これから数百年、ないしはより長く活用され続けていくかもしれない。

だが、今の人類が、原始人たちが火や棍棒の技術を活用していた時の向き合い方とはまるっきり異なった意識でそれらを活用している——現代社会において火は活用していても、棍棒はもはや使い場所がほぼないだろうが——ことを考えると、また違った態度で現代の最新技術なるものと向き合えるのではないかと思う。

午後に仮眠を取った後に作曲実践をしたのだが、そこではあまり自分の内側から創造エネルギーが芽生えてこなかった。曲を作っている後半から、あまり気乗りしない感覚となり、そういう時には曲を無理して作る必要はないだろうと思ったので、形になろうとするものがある程度の形になったところで作曲実践を終えた。

これは文章の執筆についても言えることだが、無理をして何かを生み出す必要はない。内側で形になることを待つものに対してだけ言葉や音を当てていくことが賢明だ。

無理をして内側から外側に引っ張り出そうとするのは望ましくない。とにかく無理をせず、小さな形を絶えず残していくことが大切であるという点を忘れずに、夕食後の作曲実践に臨みたいと思う。フローニンゲン:2019/1/5(土)16:36

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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