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3634. 不可逆な時の螺旋の中で

January 6, 2019

今日もまた、人生のある一日が終わりに差し掛かっている。この人生は一体なんなのだろうか。このように流れていく人間の一生とはなんなのだろうか。そのようなことを考える。

 

時の不可逆性に抗うことができないというのは、人の性なのだろうか。

 

どうもしめやかな気持ちがする。

 

時刻は夜九時を迎え、辺りの闇はこれ以上ないほどに深くなっている。夕方の四時に、行きつけのチーズ屋に足を運ぶために街の中心部に出かけた時、もうその時間は辺りが薄暗くなっており、自宅を出発してすぐに霧雨が降り始めた。

 

うすらひっそりとした奇妙な生き物が現れてもおかしくないような雰囲気が辺りに漂っていた。それはそれで幾分幻想的ではあった。

 

自分の人生がいかなるものであるかを問わない日はない。人生のある一日がいかようなものであったかを問わない日もない。自分がいったい何者であり、どこに向かっているのかを問わない日はない。

 

欧州でのこの三年間は、本当に毎日が問いの連続である。時に自分が何を問うているのかさえわからないぐらいに、問いが向こうからこちら側にやってくる。

 

それに答えようとしても無理である。なぜなら、それは答えられるような量ではなく、問いというのはそもそも、こちらから答えていくような類いのものではないからである。

 

問いは自らを問い、自らに答えを与えていくという性質を持っている。では、この自己は問いに対していかような態度を持っておくべきなのだろうか。

 

問わずしてそこにあり、答えずにしてそこにある。「あぁ、やはり自己はそこにあるものなのだ」という言葉が漏れてくる。

 

本当に今日という一日が存在していたのだろうか。いったい自分は今日という日に存在していたのだろうか。自己と存在の問題がまたしても浮上する。

 

今日も何気なく三曲ほどの曲を作っていた。未だ創造活動における爆発は起きず。

 

いや、それが起きないようにまだ制御をしているのだ。日記の執筆も、作曲実践も、日々、抑えに抑えた量しか従事していない。一人の人間の創造性というのはその程度のものではないはずである。

 

米国での四年間、欧州での三年間の生活。欧米ではまだたったの七年間しか生活を送っていない。

 

これからの人生はどのようになるのだろうか。このまま欧米で人生を過ごしていくと、自分は一体どのようになるのだろうか。

 

特に日記を綴るつもりなどなかったのだが、気づいた時には文章を書いている自分がいた。言葉を紡ぎ出している自分がいた。おそらくこれでいいのだろう。

 

こうした形で人生が過ぎていくことを肯定すること。おそらくそれが大切なのだろう。

 

今日という一日、そして自分の存在は、夕方の霧雨のようなものなのかもしれない。これから少しだけゴッホの手紙を読もうと思う。そしたらもう就寝だ。

 

おそらく明日はやってくるだろう。またいつもと同じように不可逆な形で。フローニンゲン:2019/1/4(金)21:27

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