午後からの作曲実践では、今年の夏にフィンランドを訪れた際に購入した楽譜を紐解き、フィンランドの作曲家の誰か一人の作品を参考にして曲を作ろうと思う。
早朝に、過去に作った曲をMuseScore上にアップロードしていると、ある外国人の方が、私が大晦日の夜に作った奇妙な曲をお気に入りに追加していることを知り、少々驚き、同時に笑ってしまった。
いかなる曲にも暗号のようなものが埋め込まれており、それを目には見えない手紙のように思えてくる。音楽理論に習熟すればするほど、そうした暗号の所在がわかり、それがいかなる暗号かがわかってくる。
おそらく、音楽を単に聴く分にはそうした暗号を読み解く必要はないと思うのだが——深く音楽を聴こうとするのなら、音楽理論に習熟することは大切だと最近痛感しているが——、過去の作曲家の作品を参考にして作曲を学び、そして実際に作曲する際には暗号解読は不可欠である。
実は、大晦日の夜に作った奇妙な曲というのは、オリヴィエ・メシアンが提唱した「移調の限られた旋法」を活用した曲だった。厳密には、合計で七種類ある「移調の限られた旋法」のうちの第一番、つまり移調限度回数が二回の手法を活用した曲だった。
それは、CホールトーンとC#ホールトーンを活用するもので、二つのCのスケールを活用していることから、遊び心を込めてタイトルもそれにちなんで付けた。その曲は、単に実験的に作ったものであり、全くもって美しいとは思わなかったのだが、ある外国人の方がお気に入りに追加してくれていたことには少々驚いた。
人間の美的感覚は実に様々だと思った。もしかすると、単に風変わりな曲を好む人だったのかもしれない。
当然ながら、いかに奇妙な響きを持つ曲であっても、作っている最中は、「奇妙さの中にある美」をなんとか掴もうとしているため、そうした曲にも自分の何かしらの美意識が反映されているのかもしれない。
話し言葉や書き言葉の中に、その人の存在感が滲み出すように、音楽も偽ることなく作り手を映し出してしまうものなのかもしれない。
これからも継続して作っていく一連の曲を通じて、自分の美意識がどのように発達していくのかを観察していきたい。自分の中では、10,000曲を作るまでは単なる実験に過ぎず、10,000万回の実験が終了してから、真に自分の曲が生まれてくるだろうと予感している。
昨夜寝室で横になり、眠りの世界に入る前に、「この世界は狂っているのだから、逆向きに狂わなければならない」という奇妙な考えが芽生えていた。
そこからさらに、この人生を通じて、もしかしたら、日記に関してはわずか100,000ほど、曲に関してはわずか80,000曲ほどしか作れないかもしれないと思い、その少なさに少々暗澹たる気持ちになった。それぐらいの量では決して狂っているとは言えないのだから・・・。
この世界の狂気さに対して狂気を通じて向き合っていくことについては、また今後も考えることになるだろう。フローニンゲン:2019/1/3(木)13:24
No.1540: Lonely Play of Drizzle
When I left home to the cheese store to which I often go, it suddenly began to drizzle.
The drizzle also looked lonely in order to actualize itself. Groningen, 17:07, Friday, 1/4/2019