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3617. 新年二日目の朝に思うこと


今朝は六時半に起床し、七時から一日の活動を始めた。幸いにも、昨夜はもう花火や爆竹の音が聞こえることはほとんどなく——誰かがまだ少しだけ花火や爆竹を鳴らしていたが——、すぐに深い眠りの世界へと落ちていくことになった。

快眠を取ることができ、今日も一日の活動に向けて気力に満ち溢れている。昨夜就寝前に改めて考えていたことは、日本語でこのようにして日記を書くように、自由自在に曲を作りたいということだった。

そのためには学習と実践が欠かせない。絶え間ない学習と実践。それを2019年も自分に課そう。

いや、そのようなことを考えることはもはや必要ないかもしれない。絶え間ない学習と実践が自分の人生になっているのだから。そのようなことを昨夜考えていた。

今日も作曲に関する学習と実践を行っていく。私は本当に、日本語で文章を書くのと同じぐらいに自由自在に曲を作りたいと強く思っているようだ。その思いはとても強い。

昨日、自分が作った曲を聴きながら、そこから喚起される感覚を絵として表現していた。この実践は、毎回曲を作る時に必ず行っているものである。

水筆ペンを購入して以降は、色鉛筆で絵を描いた後、ペンを用いて水を含ませることが習慣になっている。単に色鉛筆で描くだけよりも、水筆ペンを活用した方がより味わいのある絵になっていくように思う。

昨日、何気なく二つの色を選び、それを水筆ペンで混ぜてみたところ、色の組み合わせが悪かったのか、曲が喚起する感覚とは異なり、随分と汚れた色が生まれた。そこから得た素朴な気づきは、混ぜてしまうと汚くなってしまう色があるのと同じように、混ぜてしまうと汚く響く音がある、というものだった。

作曲においては、どのような音を組み合わせてハーモニーを生み出すかは一つ重要な要素であり、綺麗に響く音の組み合わせをこれからも研究していこうと思う。ここでさらに思うのは、綺麗に響く音の組み合わせを見つけるためには、逆に、汚く響く音の組み合わせについても習熟している必要があるということだ。

どのような条件下でいかなる音を組み合わせると汚く響くのかに習熟していれば、まずは汚い響きを避けることができる。より応用的には、あえてそうした汚い響きが必要になる曲の中でそれらを有効に活用していく足がかりになるだろう。

そこから今度は、綺麗に響く音の組み合わせをより探究していくことによって、綺麗な響き・汚い響きの双方をうまく曲中の中で表現できるようになってくる。一つ一つの音の響きは、ある意味、一つの色に喩えられるため、活用出来る色の引き出しをできるだけ増やしていくように心がけたいと思う。

今日の早朝の作曲実践から、そうした意識を強く持ちたい。早朝の作曲実践では、バッハのコラールを参考にする。

今朝のこの瞬間の感覚として、あまりきわどい音(汚く響く音)を活用したいと思わないため、ディミニッシュコードを活用することはないと思われるが、何か新しいことを試したい。あるいは、ここ最近試していることの技術をさらに磨くような実践の場としたい。

当面の間は、セカンダリー・ドミナント、置換ドミナント、サブドミナント・マイナー、sus4の技術に習熟しようと思う。その中でも優先順位としては、少しばかり浮遊感や神聖な感じを表現するために、sus4を短調の曲で積極的に活用してみようと思う。フローニンゲン:2019/1/2(水)07:28

No.1535: The Graceful End of a Day

A day in my life is approaching the end today, too.

I’ll go to bed, wishing tomorrow to be also fruitful. Groningen, 21:43, Wednesday, 1/2/2019

 
 
 

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