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3610. 大晦日の夜に思うこと

January 2, 2019

つい先ほど夕食を摂り終え、これから本日を締めくくる活動に従事していく。それはすなわち、2018年を締めくくる活動を意味している。

 

その活動として、過去の日記を編集することと、モーツァルトの変奏曲に範を求めて作曲実践を行うことをしたい。

 

時刻は午後八時に近づきつつある。相変わらずドンパチと花火や爆竹の音が鳴り響いている。いや、これから年越しを迎える深夜にかけて、それはより激しくなるだろう。

 

夕食を食べながら、近所で打ち上げられる花火を眺めていると、一つ思うことがあった。私がオランダの文化を尊重している点として、芸術が生活に根ざしたものになっていることが挙げられる。

 

芸術が日常生活の中に浸透し、溶け込んでいると言っても過言ではないだろう。実際に、オランダ人の家には——私が現在借りているアパートの一室にさせ——絵画作品がほぼ必ず飾られている。

 

オランダ人にとっては、少なくとも絵画芸術は生活においてなくてはならないものなのだ。そうしたことを思いながら、芸術を愛するオランダ人なのだがから、もう少しセンスのある花火をあげてほしいところだ、と思っていた。

 

ゴッホ的、あるいはフェルメール的な花火を期待するのは無理があるかもしれないが、少なくとも、もう少し工夫のある花火や爆竹を上げることはできないだろうか、と思ってしまう。なりふり構わずドンパチする狂気的なところはゴッホ的と言えなくもないが・・・。

 

今日は天気予報を嬉しい形で裏切り、夕方には輝く夕日の姿を拝むことができた。それは、今年最後の夕日であった。

 

夕日が現れた時、空には幾筋もの飛行機雲が流れており、それらはどこか遠くの世界へと繋がっているような道に見えた。

 

空を駆ける白い道。夕方に見た飛行機雲はそのように形容できるだろう。それはどこまでも遠くに伸びていて、この先も時間が永劫であることを語っているかのようだった。

 

来年の一年間を、そのような時間感覚の中で過ごすことができるだろうか。できるかもしれない。

 

そのためには、絶えず自分のライフワークに従事していくことが肝要だ。一寸も自らのライフワークから離れない生活。そうした生活を来年も送っていく。

 

夕食を食べる前に、自分にとって他者と共に生きるというのは、文章としての、曲としての日記を絶えず書き残していくことだと思った。日記を執筆しながら自らの人生を歩んでいくことが、他者と共に生きることと同義であることを知る。

 

毎日綴る日記は単なる日記ではなく、詩のようなもの、かつ手紙のようなものだとみなしていこう。宛先人が不明の詩と手紙を絶えず書き留めていく。

 

それは、他者に自分の知見や経験のみならず、自分の人生そのものを共有する生き方だと言える。そのような人生を来年も、そしてこれから未来永劫歩みたいと思う。フローニンゲン:2018/12/31(月)19:51

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