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3606. 大晦日の朝に


2018年の大晦日を迎えた。フローニンゲンで迎えた大晦日の朝はとても静かだ。

今日はいつもより少し遅く、午前七時に起床し、七時半から一日の活動を始めた。それは、2018年最後の活動を意味している。

面白いことに、数日前から年越しを祝う爆竹音が夜に鳴り響いていたが、それは大晦日を迎えるに連れて数が増えていた。昨夜はここ数日間の中では一番爆竹音が聞こえていた。

そうなってくると、大晦日を迎えた今日の夜がどれほど爆竹が鳴らされるのか楽しみである。今日は爆竹のみならず、花火も打ち上げられるだろう。

2018年を締めくくるにあたって、私は何か特別なことをしようと計画していない。いつもと同じように自分のライフワークに取り組むことだけ。それが最良の年越し方法であり、最良の新年の迎え方だと思う。

今日もまた、探究活動と創造活動に従事していく。今日はゴッホの手紙の続きを読み、日記の執筆と作曲実践に従事していく。さらには、昨日と同様に、監訳中の書籍の第二章のレビューを行いたい。

昨日どのようにレビューし、どれほどコメントをするかの基準のようなものが自分の中にできたので、その基準に基づいて今日もレビューを実施していく。このペースでレビューをしていけば、新年の第一週の日曜日にはレビューが終わる。

一日のレビュー量は無理のないものにしているため、そのペースが最も望ましいだろう。レビューが終わったら、次の週からは、各省末に挿入する予定のコラムを実際に執筆していく。

今はレビューに専念しており、実際のコラムの文章を執筆しないようにしている。これは本書の構成上、ある章の内容が続く章の中で言及されていることが多々あるので、私の解説が不必要なことがあるからであり、さらにはコラムをいざ執筆しようとした時に、後半の章で書かれている内容を踏まえてコラムを執筆した方が、より有意義なものが書けるように思えたからである。

それらの理由から、レビューとコラムを並行させるのではなく、まずは全ての章をレビューすることに集中し、レビューが終わってから再度文章を読み返す形でコラムの執筆を行っていく。そうした作業を一月の第二週に行いたい。

闇に包まれた住宅地から、一台の車がヘッドライトをつけて通りをゆっくりと走っている姿を見た。その車はこれからどこに向かうのだろうか。

昨日ふと、どういうわけか、シュタイナー教育を受けた二人の日本人の知人について考えていた。とりわけ、二人に共通している特質について考えていた。

おそらくシュタイナー教育を受けると、その人の固有の魂が真に涵養されていくのだと思わせてくれたのがその知人の二人である。魂が継続的に涵養され、人間性の発達が成人になっても止まることなく継続している点は注目に価する。

固有の魂を発見し、それと寄り添いながら魂を深めていく教育。それがシュタイナー教育の核にあるように思えてくる。

シュタイナーの思想、およびシュタイナー教育については引き続き探究を続けていきたい。フローニンゲン:2018/12/31(月)07:53

No.1529: Two Types of “C”‐Type Blood

I couldn’t imagine that I would compose such a queer piece of music on the last day in 2018.

Yet, I think that this kind of unpredictability symbolizes our life that is completely incomprehensible and mysterious. Groningen, 21:33, Monday, 12/31/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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