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3589. 私利的・利他的を超えた営み


——頭の中で発見できることは、必ず宇宙にも当てはまるだろう——アーノルド・ショーンバーグ

数日前にふと、自分が日々の生活を通じて発見した些細な気づきを共有していくことの大切さについて考えていた。作曲家のショーンバーグが指摘するように、私たちが自らの内側で見出した事柄は、必ず宇宙にも当てはまることなのだと思う。

というよりも、私たちの内面世界が一つの宇宙であり、それは他者の内面の宇宙と繋がっており、さらにはそうした内面宇宙は外面宇宙と不可分の関係にあるのだから、ショーンバーグが述べていることはますます正しいように思えてくる。

知識と経験をこの世界に共有していくこと。それらを自分の内側で溜め込むことほど無駄なことはない。

知識と経験を蓄積し、咀嚼する過程の中で私たちの発達が起こるのであるから、それを蓄積していくことは大切である。だが、間違ってはならないのは、知識と経験をこの世界に共有することなく、自らの内側に留めておくことは無益であるということだ。

自分の人生は他者の人生と共にあるということを最近よく実感する。それは欧州の地で日々生活を営みながら、日常のふとした何気ない事柄に従事している時に感じることもあれば、日本企業との協働プロジェクトに従事している時に感じることもある。

いずれにせよ、今の私は、他者の人生は自分の人生であり、自分の人生が他者の人生に溶け込み、他者の人生が自分の人生に溶け込んでいることに気づいているようだ。仮にそれに気付けないのであれば、社会的な生き物としての人間の存在の本質を見出していないからだろう。

つい先ほどまで日記の編集をしていた。朝一番には作曲実践も行っていた。

日々綴られる日記、そして毎日作る曲は、確かに自分のために行っているように思える。というよりも、日記を綴り、日々曲を作ることが自分の人生そのものに他ならなくなっているのであるから、自分のためにそれらを行っているというのもどこか変だ。

それらもう完全に自分の人生の一部になり、それらに従事することが自分の人生をさらに深め、また一歩新たな場所に自分を連れて行ってくれる。そうしたことを考えると、日記や曲に関してはこの世界へ何かを共有するという意識は一見すると希薄に見える。

しかし私は間違いなく、自分宛に、そして自分以外の誰かに向けて手紙を書くように日記を執筆し、作曲をしているのだと思う。この感覚を正確に記述するのは難しい。

ただし言えることは、日々の日記の執筆や作曲実践が、私利的でも利他的でもなく、自己と他者の双方を包摂した次元で両者に向けてなされていることに気づき始めている。今日もそうした活動に愚直に取り組んでいく。フローニンゲン:2018/12/27(木)12:09

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