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3577. クリスマスの朝方に見た夢


2018年のクリスマスを迎えた。今日だけが特別な日ではなく、毎日が特別な日であることを改めて思う。

時刻は午前七時に近づきつつある。辺りは静寂さと闇に包まれている。

今日は祝日であるから、人々が活動を始めるのはいつもより遅くなるだろう。外は本当に静かであり、そうした静けさに闇が映える。あるいは、闇に静けさが映える、と言った方がいいかもしれない。

そのようなことを思っていると、ふと、闇に対する受け取り方に変化が生まれていることに気づいた。不思議なことに、今目の前に広がる闇が美しく見える。黒一色の世界がなんとも言えない美しさを醸し出していることにハタと気づかされる。

気がつけば今年もあと少しとなった。昨日から、過去の日記の編集に力を入れており、今日もそれを行う。

昨日改めて過去の日記を読み返していると、本当に色々な発見があった。昨年の秋にどのようなことを学んでおり、どのような考えを持ちながら日々生きていたのか、さらには当時見ていた夢にはどのようなものがあったかを知る上で、過去の日記を読み返すことは非常に有意義である。

そうした意義に加え、さらに重要なことは、過去の日記から新たな感覚や考えが醸成されることだろう。日記は単にその時の自分を映し出すだけではなく、将来の自分の成熟を支えるものである。そのようなことを改めて思った。

クリスマスの今朝も、いくつか印象に残る夢を見ていた。どのような文脈かは忘れてしまったが、私よりもひと回りほど年上の女性と話をしていた時に、その方が元宝塚俳優であるということを知った。

一つ目の夢に関して覚えているのはたったそれだけだ。いや、もう少し覚えているのは、その前に、親友の一人と一緒に大型客船に乗っており、港近くで船から飛び降り、海底に潜っていった場面があった。

その界隈の海はサメが出没することで有名だったが、私たちはあえてそうした海の中に飛び込んでいった。というのも、海底のどこかに私たちの目的地があったからである。

海底に潜ってみると、深い海の底の左右に不思議な空間があった。左手に見えたのは、学校の教室のような空間だった。その教室には天井がなく、中の授業風景がよく見えた。

海洋学校の生徒らしき人たちが10人ぐらい席に座っており、先生の話を聞いている。そして右手に見えたのは、一艘の手漕ぎボートが浮かべられた巨大なプールだった。

海の中に教室とプールがあることを不思議に思ったが、友人と私は、その教室の先生に相談をし、プールにある手漕ぎボートを使って別の場所に移動することにした。さらに深く海を潜っていったところで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は椅子も机もない教室の中にいた。見ると、小中学校時代の友人たちが何人もいて、これから地理の授業があるらしかった。

すると、先生が教室に入ってきて授業が始まった。生徒はテキストやノートを広げることはなく、その様子はさながらシュタイナー教育の授業風景であった。

授業が始まると、先生は早速地理に関するクイズを出した。それに生徒一人一人が答えていくことになっており、最初に問題に答えることになったのは私だった。

黒板に日本地図が貼られており、黒板の他のスペースに何枚もの写真が貼られていた。先生は一つの写真を指差し、そこには可愛らしい動物が写し出されており、その動物にゆかりのある地名を答えるものである。

私は最初、「奈良」と答えたが、答えは奈良ではないことがなんとなくわかったため、それと似たような、しかし漢字の読み方がいまいちわからない地名を答えた。一応、その読み方は合っており、正解だった。

私の左隣には、小学校のどこかのタイミングで別の学校に転校してしまった女子生徒がいた。次の問題に答えることになっていたのは彼女であり、彼女に力を貸そうとしたが、彼女はそれを断り、自力で答えると主張した。

実際に問題が出題されると、彼女はあっさりと問題に解答することができ、嬉しそうだった。さらにその左隣にいた生徒に問題が出されたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2018/12/25(火)07:12

No.1512: Peacefulness in the Fog

It is foggy in Groningen this morning.

Yet, I notice that peacefulness exists in the fog. Groningen, 08:49, Wednesday, 12/26/2018

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