今朝は六時前に起床し、六時を過ぎた頃に一日の活動を始めた。とても静寂な闇が外の世界に広がっている。
この瞬間のフローニンゲンには雨が降っておらず、ただ静寂な闇だけがそこにたたずんでいる。天気予報を確認すると、今日は午前中から雨が降り始め、夕方に止むようだ。雨が止んだ時に夕日が見れるのかというとそうではない。
もう四時を迎えると暗くなり始めている今日この頃において、今日は太陽の姿を拝むことは期待できない。日照時間が短くなる極地に向かって季節が進行している。
これからようやく厳しい冬がやってくる。今年は随分と暖かいと思っていたが、もうそろそろ本格的に寒さが厳しくなるだろう。
とはいえ、昨日ぐらいから室内の気温も下がってきたようなので、ヒーターの温度を高くしたりと、それなりに本格的な冬の到来を感じている。だがそれは、あの過酷な冬の前ぶれ程度でしかなく、これから始まる厳し冬が待ち遠しい。
そこでは再び精神が圧縮され、圧縮からの解放がやってくるはずだ。北欧諸国の国民たちの幸福度は高いと言われており、彼らの生活の有り様を見ていると、確かにそうかもしれないと思うことはあるが、意外と北欧諸国の自殺率が高いことが気にかかっていた。
最近思うのは、確かに長く厳しい冬の時期に、これだけ日照時間が短くなれば、脳内からセロトニンがあまり分泌されなくなり、抑うつ的な気分になるのもわからなくもない。実際に、私もフローニンゲンで生活を始めた最初の年は、それに類するような状態に自分が陥りそうになっていることに気づいていた。
そう考えてみると、太陽という存在が生命にとってどれだけ大切なものなのかがわかってくる。この時期は、太陽の光が本当に貴重であり、太陽が降り注ぐ方向に自分が伸びていこうとするような感覚にすらなる。
こうした環境下で精神が鍛錬されていくというのは文字通り、自らの意識が太陽の方向に伸びていっているからなのではないかと思ってしまうほどだ。
精神を圧縮する厳しい冬の到来を待ちわびている。昨年同様に、今年の冬に向けた精神的準備はすでになされている。
それを受け入れる準備はすでに整っており、むしろその到来をもってして、再び自己が新たな方向に歩き出すだろう。太陽の方向にまた一歩、歩みを進めていくにちがいない。
昨夜ふと、こういう雰囲気の季節だからか、短調の曲を多く書いている自分がいることに気づいた。いやはや、こうした自然環境から喚起される自らの精神を色濃く反映した曲が自然と生まれてくるような状況になっている。
もちろん、短調の曲が必ずしも暗いものだとは言えないのだが、そうだとしても短調の曲にはどこか暗さや冷たさのような感覚を引き起こす性質が横たわっている。無調の曲もどこか神秘的な——ないしは不気味な——響きを持つものが多いが、今の私は無調の曲を書く技術はなく、調性のある曲を書いている。
そうなってくると、北欧に近いオランダのこの街が発する雰囲気に影響を受ける形で、自然と短調の曲を書くことが多くなっているのだろう。これは短調の曲を多く書く良い機会になるだろう。
この機会の恩恵を受けて、世界の暗黒部の深淵を眺めるような曲を作っていく足がかりを得たい。フローニンゲン:2018/12/22(土)06:40
No.1501: Dinner of an Imp
An imp finished having dinner.
I feel as if I shook hands with the imp, saying good-bye.
I’ll study compassion theory a little bit and then go to sleep. Groningen, 21:13, Saturday, 12/22/2018