目の前の景色に対して何を述べたとしても、それが突然変わることはないのだが、とにかく闇だ。あるのは闇だけ。
確かに街灯がポツリポツリと光っているのが見えるが、とにかく闇だ。起床して二時間経つが、起床した時と変わらない闇の世界が目の前に広がっている。
昨夜就寝前にふと、シュタイナー教育の思想、特に芸術教育に関する思想を、様々な哲学的枠組みから探究していくことに着手したいと思った。その考えを机の上の裏紙にメモをしてから就寝に向かったのを覚えている。
今日から再び、哲学的な探究を再開させる。作曲理論に関するテキストのまとめノートが昨日完成したため、今日からは再び哲学書ないし哲学に関する論文を読んでいくことができる。
昨日から、ジョン・デューイの“Art as Experience (1934)”の気になる章から読み始め、二つの章を読んで昨日の読書を終えた。今日はその続きを読んでいく。
デューイの書籍を読んだ後に読みたいものとして、インナ・セメツキーの“Jung and Educational Theory (2013)”とエリオット・アイスナーの“Reimagining Schools (2005)”“The Kind of Schools We Need: Personal Essays (1998)”、さらにはイラ・ショーの“Empowering Education: Critical Teaching for Social Change (1992)”の四冊がある。先ほど、それらを書斎の机の上に置いた。
シュタイナー教育の思想を探究の中心に据え、特にその芸術教育思想に注目をしていく。その際に、教育哲学の様々な枠組みのみならず、他の哲学領域の枠組みを活用して探究を進めていきたいと思う。
探究の成果がどのような形を伴ってまとまっていくのかはまだ不明だが、今の自分の関心はそうしたところにあると言える。
今日は午前中に、協働者の方たちとの勉強会がある。それ以外の時間はすべて探究活動と創造活動に時間を充てたい。
まずはこれから早朝の作曲実践に取り掛かる。今日からはとにかく旺盛に作曲実践を行っていきたいと思う。
作曲上のパターンをとにかく増やしていくことが重要だ。リズム・メロディー・ハーモニーを含め、作曲で必要とされる様々な要素のパターンを獲得していく。
そのためには兎にも角にも実践が不可欠であり、実践を通じた内省が大切になる。そして、実践をより有意義なものにしていくために理論の学習が不可欠である。
今日からは、作成したまとめノートを何度も繰り返し読んでいくことにする。一つ一つの項目を理解しながら、そして実際に自分の手で音を鳴らしながら、それらを身体知の次元にしていく。
それらの知識が自由自在に作曲実践の中で活用できるようになれば、今とは一段次元の違う作曲技術を獲得したことになるだろう。哲学の探究、そして作曲技術の向上に向けた活動に従事しながら、休憩として今日はモネの画集を眺めようと思う。フローニンゲン:2018/12/19(水)07:09
No.1493: A Waltz of Cold Rain
It began to rain a couple of minutes ago.
Today is cold especially for the part below my ankle. Groningen, 17:33, Thursday, 12/20/2018