書斎の中に、バルトークの『ミクロコスモス』の楽曲が流れている。短く、そして一つ一つ意味を持った不思議な曲たちが、現れては消えていく。
今日も昨日と同様に、作曲理論の学習に打ち込んでいく。嬉しいことに、昨日の段階でテキストのまとめノートの作成がほぼ完成した。
全部で30章近くあったテキストのうち、残るは1章だけとなり、そのまとめは今日の午後の早い段階で終わりそうだ。一つ一つの項目を理解しながらまとめていったため、かなりの時間を要したが、この作業を行って本当に良かったと思う。
これまで音楽理論の基礎が非常に脆弱であり、まとめノートの作成を通じて、知識基盤を少しずつ強固なものにしていくことができたように思う。ここからさらに土台を堅牢なものにしていくためには、兎にも角にも繰り返しの学習が必要になる。
今の私は、理論書の内容を頭で理解しただけであり、それだけでは不十分である。作曲の中で自由自在に知識項目を活用していくことができるためには、それらの知識を身体知の次元で習得しておく必要がある。
そのためには、繰り返しノートを読み返し、さらには実践の中でそれらの知識を活用していくことを何度も行う必要がある。まとめノートが完成した明日からは、特にそうした点を意識していく。
ひとたびまとめノートが完成したら、再び教育哲学関係の文献を読むことや、美学に関する文献を読んでいこうと思う。さらには、ミシェル・フーコーやエーリヒ・フロムの書籍を読み返し、教育を取り巻く社会的な構造的病理を考えていくヒントを得ていきたいと思う。
昨夜未明に見ていた、シャチが現れる夢はとても印象に残っている。実は一度目を覚ました時に、寝室の明かりをつけないまま、枕元にあるメモ用紙に夢の内容を走り書きしていた。メモをしておいて良かったと思う。
夢の中にサメが出てくることはあっても、シャチが現れるのは初めてだったように思う。しかも、サメが出てくる夢とは異なって、昨夜の夢の中では恐怖心はなく、シャチとの交流を通じて、自分の心が温かくなるのを感じていた。
それにしても、六頭のシャチたちは、皆とても賢かった。人間の言葉を理解するほどの知性を持っており、こちらの言葉に対して、異なる鳴き声を発していたことを思い出す。
彼らが私の言葉の意味内容を意味論的ないし語用論的に理解していたわけではないと思うが、それでも、私の発話から何かしらの意味を汲み取っていたことは確かだろう。私の発話の音が、彼らにとってのある種の音楽のように聞こえており、その音楽全体がどのような感情や雰囲気を持つものなのかを彼らは理解していたように思う。
ただし、それだけではあの夢の中で行われていたようなコミュニケーションは成立しないであろうから、彼らなりの意味の把握方法があるのかもしれない。何かしらの方法で人間の言語の意味を理解する彼らの知性には改めて驚かされる。
時刻は午前七時を迎えつつある。今から一日分のコーヒーを入れ、そろそろ本格的に一日の活動を始めようと思う。
今日も気力に満ちており、自分の取り組みが一歩深いところへ進んで行くことを予感する。フローニンゲン:2018/12/18(火)06:59
No.1488: A Wish in the Early Morning
Now it is 8AM, but it is still dark.
I wish that sunrise will come after a while. Groningen, 08:17, Wednesday, 12/19/2018