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3536. 財産としての知識と技術


時刻は午後の四時に近づきつつある。もうこの時間帯から少しずつ辺りが薄暗くなっている。

今朝方は、フローニンゲンの街は薄い霧で覆われていた。それが徐々に晴れていったが、今日は曇りのため、太陽の姿を拝む機会に恵まれることはなかった。

どこか寂寥とした雰囲気が辺りに漂っている。そうした辺りの雰囲気とは対照的に、今日も充実感を持って活動に従事することができている。

昨日の段階で、来月末に出版される共著『リーダーシップに出会う瞬間』の原稿のレビューを終えたため、今日はその他の活動に従事する十分な時間があった。これまでのところ、特に作曲理論の学習に時間を充てていた。

ようやく、調性を脱却した作曲技法に関する章のまとめノートを取り終えた。本章が一番分量の多い箇所であったため、まとめノートを作るのに数日間かかった。

午後の早い段階でその章のまとめノートを作り終え、楽式に関するまとめノートをつい先ほど作成し始めた。テキストのまとめをしていくのは残り数章となり、すでに山場を超えているので、一連のまとめ作業は週末を迎える前に終わるだろう。

そういえば、テキストをこのようにまとめていく作業をしたのは初めてのことだと言えるかもしれない。これまでも、発達理論を含めて、自分を捉えてやまない探究領域は多々あったが、それらの基礎テキストをまとめるようなことはただの一度もなかったように思う。

もちろん、それらの関心領域は、具体的な技術が伴うようなものではあまりないという側面が強かったからだろうが、それにしても、今回のように500ページほどのテキストのまとめノートを最初から最後まで作ろうとしている自分の姿を改めて眺めると、自分はそれほどまでに作曲理論を習得したいのだろう。

今と似たような衝動に駆られていたのは、発達理論の学習の中においては、とりわけ発達測定の技術を習得する時だったように思う。あの時は、それこそ発達測定に関するテキストが擦り切れるぐらいに文献を何度も読み込むことを行っていた。

当時は、それを用いて仕事をしようなどど思っておらず、はたまた、研究にそれを活用するということすらも最初は考えていなかった。純粋に、発達測定という技術に関心を持ち、学べば学ぶほどに、その奥深さに惹かれていった感覚があった。

不思議なことに、そうしたやむにやまれぬ探究衝動に基づいて探究を続けていると、獲得した技術を用いた研究をふとしたきっかけで始めることになったり、それが日本企業との協働プロジェクトなどにつながっていったという出来事があった。

芸は人を助けるのかもしれない。探究と修練によって磨いた技術は自己を助けるのみならず、それが社会に還元できるものであるならば、他者や社会を助けるものになると言えるだろう。

書斎の窓の外を眺め、ふと本棚やソファに置かれた書籍群を眺めると、これらは具体的な物であるから喪失する可能性や奪われる可能性が絶えずある。しかし、自分の内側に獲得された知識や技術というのはそう簡単に喪失しないだろうし、少なくとも奪われることはない。

自らの探究と修練によって獲得された知識や技術は、一生涯の貴重な財産となる。そしてそれは、他者や社会に還元される形で発揮されて初めて真の価値を有するものになるのだと思う。

私はまだそうした知識や技術を持たない。そうであるからこそ、これからの30年、60年、90年の探究生活がある。フローニンゲン:2018/12/17(月)16:13

No.1486: A Forlorn Flower

It is 5:30 PM, and it is very dark outside.

I can find a flower inside myself, which I hope to be joyous. Groningen, 17:37, Tuesday, 12/18/2018

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