top of page

3506. 学習動機の変容と人生


時刻は午後の七時半を迎えた。本日最後の日記を書き留めておきたい。

今日は午前中に、ひょうのつぶてが空から降ってきた。ひょうが激しく窓ガラスにぶつかる音が聞こえてきた時、書斎の窓から外の通りを眺めてみると、杖をついた白髪のおじいさんが、傘も差さずに犬の散歩をしている姿を見かけた。

その後すぐにひょうは止み、その小雨と同時に太陽の光が地上に降り注ぎ始めた。天気雨が地上に降り注ぐ様子は、とても美しかった。

輝く小雨を眺めながら、午前中の作曲理論の学習に取り掛かっていたことを思い出す。

今日は一日を通して、大いに作曲理論を学習した。学習も随分とはかどり、テキストのまとめノートが完成するまであと少しである。それは来週の頭には完成するだろう。

作曲理論の学習をしていると、こうした学習のみならず、その他の領域に関しても、学ぶことをやめてしまうことは、社会へ奉仕することを放棄することに等しいのではないかと思えてきた。

昨日も書き留めていたように思うが、自らに課す教育は自らのためだけのものではなくなった。もしかすると、教育とは最初からそのようなものなのかもしれない。

確かに教育は、自己を深め、自己の能力を育んでいくことに資するものであるが、そこで終わりではない。それよりも先の目的として、教育とは本来、個人の育成を通じて私たち自身が社会に関与していくことを促すためにあるのだと思う。

小さな自己に囚われた学習衝動はもはやなくなった。今の自分の内側に息吹いているのは、自己を超えた世界全体への関与をしていくための学習衝動である。

そのように自己超越的な衝動でなければ、今のように没入的に学習を進めているはずはない。人は自己を深め、成熟の道を歩いていくと、諸々の動機が変容していくと言われるが、まさに学習動機に関する変容を自分の内側に見ることができる。

昼食前に一度小雨が止み、そのタイミングを見計らって、近所のスーパーに買い物に出かけた。外に出てみると、空気が冷たくなっていることにすぐに気づいた。

小雨が止んでからは、太陽の光が差し込む時間帯も多く、久しぶりに太陽の光を浴びることができ、大変心地よかった。太陽が見える時は、散歩がてら買い物に出かけるようにしたい。

北欧に近いこの地においては、冬の時代における太陽の光は貴重である。太陽の光を浴びることは、精神衛生上、必要なことかと思う。

明日からは一気に気温が下がるようであるから、寒さ対策をしていこうと思う。数週間前に一度気温が随分と下がる時があり、その際には湯たんぽを使っていた。今日からも再び湯たんぽを使って、お腹や足先を暖めながら寝ようと思う。

就寝までまだ時間があるから、もう少し作曲理論の学習をしたい。一日一日、小さく学習と実践を積み重ねていく。それはいつか巨大な構築物になる。

日々は創造的な産物であり、人生もまたそうである。自分が人生を創造し、人生が自分を創造していく。

今、ようやく自分自身が自分の人生になったように感じる。フローニンゲン:2018/12/10(月)19:45

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page