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3464. 散歩から帰ってきて


時刻は午後の五時半を迎えた。今日は午前中に、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングがあった。その後、早朝に作っていた曲を完成させ、昼食前にスーパーに買い物に出かけた。

今日はもう少し晴れ間が顔を覗かせることを期待していたのだが、曇りがちな一日であった。昼食後、少しばかり作曲理論の学習を行い、仮眠を取ってから、散歩がてら街の中心部に買い物に出かけた。

今日は二回外出したことになる。午後に散歩をしていると、今日はそれほど気温が低くないことを感じ、散歩も心地よかった。

もちろん、すでに冬用のジャケットを着ているのだが、マフラーや手袋はまだしなくて済むような気温である。時刻は三時半を迎えたあたりに、フローニンゲンの街のシンボルであるマルティニ塔の鐘の音が鳴り始めた。私は思わずその場で足を止め、しばし鐘の音に耳を傾けていた。

行きつけのチーズ屋に立ち寄り、散歩から帰ってくると、再び作曲理論の学習を開始した。今日は、調(キー)について学習を行っている。

調とは、曲が持つ重力のようなものであって、調は力場と方向性を持つということを学んだ。また、調は一つ一つの音それぞれに個別の役割を与え、独自の世界を作り出すという点も重要だろう。

一つ一つの音にも個別の役割があるというのは人間と同じだ。一つ一つの音には固有の存在意義がある。

一つの音が鳴り響く際には、そこに固有の意味がある。そして、その一つの音が消え、別の音を呼ぶ込むプロセスを眺めていると、作曲家の武満徹が述べた「一音成仏」という考えを思い出す。

そういえば、本日の昼食前に、シューベルトがかけていた眼鏡についてふと思い出した。今から一年半ほど前にウィーンを訪れた際に、私はシューベルト記念館に足を運んだ。

あれは、春の晴れた日だったと思う。記念館に足を運び、そこで私は、シューベルトが実際にかけていた眼鏡をじっと見つめていた。

その時に何を思い、何を考えていたのか定かではない。だが、若しくてこの世を去ったシューベルトがあれほどまでに多くの曲を創造したということ、そして魂と命を燃焼させて作曲に励んでいたことに感銘を受けていたのは確かである。春のウィーンの晴れたあの日に、記念館に足を運んだ時のことがふと思い出された。

今日は夕食後も作曲理論の学習を行っていく。今日は諸々の仕事もあり、午後には散歩もしていたから、作曲実践は早朝に行った一度だけになりそうだ。

今日学習した調について、とりわけ各調が持つ、エネルギー場の特徴に習熟したい。それが自分にとってどのように感じられるエネルギー場なのか、どのような色や匂い、はたまた形を持ったものなのかを掴み取っていく。

ないし、そうした感覚を自分の内側で養っていく。そうした修練を積めば、自分が表現したいと思うエネルギー場を自由自在に作っていくことが可能になるだろう。

昼食前にスーパーに出かけた帰り道、作曲理論の重要さを改めて噛み締めていた。仮にこうした理論を学ぶことがなければ、自力である理論項目を見出していくことに数年かかってしまうことや、はたまた一生その理論項目に気づかないことも起こり得るということに思いを馳せていた。

例えば、スケール上の六つ目の音と七つ目の音を半音上げて、七つ目の音を導音にするというメロディックマイナースケールというものが存在するということを学習しなければ、そうしたスケールが存在することなど一生知らないまま過ごすことになってしまうかもしれない。

一体どこの誰が、他の音ではなく、六つ目と七つ目の音を半音上げれば、メジャーとマイナーの両方の性質を持つ不思議な響きを奏でるスケールが生み出せると自力で考えつくだろうか。また、短三和音や長三和音という概念とその特徴に関する理論を学ばなければ、誰が長三和音の短調の曲の中で多く使えば、それが一般的な短調の響きが持つ暗さを和らげ、明るい感じの曲にすることができると考えつくだろうか。

このようなことを考えることができるのも、2500年かけて構築された音楽理論の体系があるからだろう。今日も理論を学びながら、何度も「面白い!」と心の中で叫んでいた。

これまでの自分が全く知らなかったことを次々に学んでいくことがとても楽しく、何よりそれを自分の作曲実践の中で試行錯誤しながら適用していくことがなお一層面白い。明日と明後日は土日であるから、とことん作曲理論の学習をしていこうと思う。フローニンゲン:2018/11/30(金)17:54

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