早朝の七時を迎えた。思っていたほどに今日は寒くない。それよりもむしろ、室内の気温がかなり上がっているように感じたので、ヒーターを消し、窓を開けて新鮮な冷たい空気を入れることにした。
早朝のこの時間から窓を開けることができるのは、来週の初旬までだと思う。そこからはおそらく、最高気温でさえもマイナスとなるような世界がやってくるだろう。
つい先ほど、一日分のコーヒーを入れ始めた。今、コーヒーメーカーが一生懸命働き、本日分のコーヒーを入れてくれている。コーヒーの香りが少しずつ部屋に広がっていく。
今朝方の夢について再度思い返している。ギリシャ神話を彷彿とさせる「父殺し」を主題とする夢について改めて振り返ってみると、神話というものが、やはり人間の深層意識の中で普遍的に現れる現象に基づいているのではないかと思わされる。
興味深いのは、過去の様々な夢を再度思い返してみたときに、母を殺そうとするような夢は一度も見たことがないのだが、父を殴打する夢については何度も見たことがあるということである。
さらに自分の幼少時代に記憶をさかのぼると、今でも覚えているが、小学校一年生ぐらいのときに、父に激しく叱られる夢を見て、それがあまりにも怖く、恐怖のあまりそこで起きて、寝室から母のいるリビングに向かって行った時のことを覚えている。
小学校一年生の時であったから、就寝時間は早く、その悪夢を見たのは夜の九時ごろであり、父はまだ仕事から帰ってきておらず、母はリビングでくつろいでいた。起床してきた私に対して、母は「どうしたの?」と尋ね、私はその悪夢について母に詳しく話すことはなかったが、「とても怖い夢を見た」とだけ伝えたのを覚えている。
今から25年以上も前の夢をふと思い出した。現実世界において、父と私の関係は極めて良好であり、とても仲が良いのだが、夢の世界では父と息子の間で非常に興味深いことが起こっている。
「興味深い」とあえて述べたのは、夢の内容を精査していけば、確かにそこには父と私という二人の固有の人物が生み出す固有な関係性が夢に影響を与えていることが見て取れるが、より巨視的な観点でいえば、ギリシャ神話の「父殺し」で象徴されているように、父と息子の関係性が持つ普遍的な構造特性を見て取ることもできるからである。
この点については、今度一時帰国した際にでも、父が祖父を殺そうとする夢を見たことがあるかどうかを尋ねてみたいと思う。仮に、そうした夢を見たことがあると父が述べれば、もしかすると、それ以降は父殺しの夢を見なくなるかもしれない。
思うに、父殺しの夢は普遍的なものでありながらも、そこに内包されるある種の病理的な関係性を乗り越えること、ないし治癒することが可能であり、それを実現させるためには、実際に父と息子の間で父殺しをテーマにした対話が必要だと思う。
こうした対話を実際に行うのは一般的には難しいかもしれないが、私は父とであればそれが十分可能だと思う。今度一時帰国した際には、そうした対話を行ってみたいものである。
だが実際には、釣りの話や詩の話、さらには最近父が始めたというハーモニカの話でもちきりかもしれない。フローニンゲン:2018/11/30(金)07:22