闇に包まれたフローニンゲンの早朝。時刻は七時を過ぎ、後一時間ほどすれば、辺りはうっすらと明るくなってくるだろう。
今日と明日は、午後から小雨が降るようだ。そうしたこともあってか、今日と明日の気温はそれほど低くない。
今日と明日のみならず、実際には来週の初旬までは、比較的穏やかな気温が続く。肌を刺すようなマイナスの世界が広がるのは、もう少し後になるだろう。
今朝方の夢について再度思い返している。そういえば、夢の途中で、父が現れ、「スリーポイントシュートなど自分の時代にはなかった」と述べていたのを思い出した。
その点については、現実世界の中で、実際にバスケをしていた母から聞いたことがある。父はバスケの経験者ではないのだが、そのようなことを述べながらスリーポイントシュートを次々に打つと、自分よりも成功確率が高いことに驚かされた。そのような場面があったことを覚えている。
夢の内容にここでもう一度立ち返ると、興味深いのは、私に近寄ってきた見知らぬ男性が勧める一風変わったシュートフォームの意味である。あのフォームそのものの意味についてここで述べようとしているのではなく、あのフォームが夢の一つのシンボルとして果たす機能的な意味について考えていた。
そのフォームは、既存のシュート理論からはかけ離れたものであり、見た目としてもあまり美しいとは言えない。しかし、その男性が述べた、そのシュートフォームが持つ利点について考えてみると、理屈として非常に納得のいくものであった。
実際に、そのフォームでシュートを打ったほうがゴールに入る確率が上がった。仮に誰かがそのフォームでスリーポイントシュートを打ち始め、その成功確率の高さが世に知られ始めると、そのフォームが市民権を得始めるのではないかと思ったのである。
ここに、既存の理論が拡張されていく過程を見て取ることができるように思えた。現在私は、作曲理論を学んでおり、その中で音楽理論というものが、徐々に更新され、あるいは時に既存の理論とは相反するような全く新しい項目を包摂しながら発展していく過程を見ることができる。
理論体系が不可避に持つそうした発展過程を、今日の夢のシンボルは示唆していたのではないかと思う。夢の中で父が言うように、そもそもスリーポイントシュートは、今から何十年前のバスケの世界には存在していなかったのである。
スリーポイントシュートが導入されたのは、おそらくバスケをより面白くするためであろう。その導入によって、試合の展開の仕方のみならず、シュートを打つための鍛錬をする選手の身体までもが変わっていったにちがいない。
それは一つのルール変更に匹敵するようなものであり、それによってバスケが大きく変わっていったのだろう。これと似たようなことが音楽の世界にも何度も繰り返し起こっているように思えてくる。
昨日に引き続き、今日も作曲理論を旺盛に学習していく。今日は発達心理学に関する勉強会に向けた準備もあるため、作曲理論の学習は五時間から六時間程度になるだろう。
今日もどのようなことが学べるのかとても楽しみだ。フローニンゲン:2018/11/28(水)07:36
No.1448: On a Drizzling Morning
It is drizzling.
I’ll begin to study composition theory from now. Groningen, 08:55, Thursday, 11/29/2018