top of page

3362. 夢の対象化による解放とウィルバーの書籍


今朝方の夢について書き留めた後、夢を対象化したことによる自己解放のようなものが起きていることに気づいた。端的には、何かしらのシャドーの表れとしての夢を対象化することによって、シャドーの解消が生じ、心的空間に新しいスペースが生まれたような感覚がある。

実際に、収容場に関する夢の中では、大きな解放感を感じていたことを覚えている。それにしても、あの夢の場面で見ていた光景、および感じていた事柄は言葉を超えたものがあることを思い出す。

不気味ではないことが不気味であるというような感覚。あそこにいた人々は、管理する側もされる側も一様に、自然な振る舞いをしていた。

しかし、その自然さがとても不自然に感じているのは私だけだったのかもしれない。収容場内に解放のアナウンスが流れた時、人々はようやく自分たちが拘束されていたことに気づき、それと同時に解放の喜びを味わうという奇妙なことを経験していたに違いない。

この夢を一つの社会モデルと見立てるならば、私が日本社会に感じている違和感はここにあるように思えてくる。自然な振る舞いが不自然に思え、束縛されているのにそれに無自覚であるということが、そうした違和感を生み出しているようだ。もしかすると、これは日本社会に対してだけではなく、現代社会全般に対して自分が感じていることかもしれない。

時刻は午前七時を回った。これからまずは作曲実践を行う。その際にはバッハの四声のコラールを参考にする。

昨日は、二つのコラールを参考にしたが、今日は通常通り、一曲だけ参考にする。作曲実践が終わったら、今日も旺盛な読書を進めていく。

まずは、イギリスの宇宙物理学者ロジャー・ペンローズの書籍を読んでいきたい。昨夜、ペンローズの“The Emperor’s New Mind: Concerning Computers, Minds, and the Laws of Physics (1989)”と“Shadows of the Mind: A Search for the Missing Science of Consciousness (1994)”を本棚の中から見つけ、それらの二冊については随分と前に購入していたにもかかわらず、まだ全体を通して一度も読んでいないことに気づいた。今日はまずそれらの二冊を読み進めていく。

ペンローズの書籍を読み終えたら、昨日に引き続き、ケン・ウィルバーの最新刊“The Religion of Tomorrow (2017)”を開き、関心のある箇所を中心に読み進めていく。特に、ティールやターコイズなどの第二層の意識段階の精神病理、さらには第三層の意識段階の病理についての説明を読み進めていこうと思う。

そこから、ウィルバーの他の書籍を参照する形で、ウィルバーの理論モデルにおける高度な意識段階の特徴を改めて確認していこうと思う。昨日に芽生えた予感として、手持ちのウィルバーの書籍をここでもう一度全て読み返すことが必要だというものがある。

抜け漏れてしまった知識、当時理解できなかった事柄などが多数あるであろうから、今日からしばらくはウィルバーの書籍を読んでいくことにしたい。今がそれを行うにふさわしい時期だと感じる。フローニンゲン:2018/11/6(火)07:10

No.1389: A Dance of Sesame

In the morning I was reading a couple of books of Ken Wilber, Stuart Kauffman, and David Bohm.

After lunch, I’ll continue to read Bohm’s book first and then Wilber’s books. Groningen, 11:49, Wednesday, 11/7/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page