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3354. 夢の中の身体の重心


昨夜の就寝前に、何らかの方法で時間の形を変容させると、今日と明日の性質は同様のものになるのか否かを考えていた。そもそも時間に形があるのか不明だが、時間の流れ方に質的差異を感じている時に、形状の差もあるように感じていたことからそのようなことを考えていた。

つい先ほど、観測可能な宇宙の大きさについて調べていた。宇宙の広大さに息を飲み、自分の認識世界が一気に拡張していくかのような不思議な感覚があった。

午前六時半を迎えようとしている今、辺りは闇に包まれたままである。しかし、闇に包まれた空の先には無数の星が存在していることを思うと、真っ暗な空が光の集合体に思えてくる。

今夜、仮に星を眺めることができたら、その星の光が自分に届けられたことの奇跡を考えてみようと思う。星から自分までの距離を考えると、その光は遥か何億光年も前に発せられていた可能性があり、その瞬間に自分が見ている光は遥か昔に発せられたものであることを思うと、とても神妙な気持ちになる。

宇宙については、今後も自分なりに学習を進めていこうと思う。内面宇宙と外面宇宙の双方に関する理解をゆっくりと育んでいく。

起床してすでに一時間ほど経ったが、今朝方の夢についてふと思い出した。夢の中で私は、実際に通っていた中学校のグラウンドにいて、友人たちとサッカーをして楽しんでいた。

だがそれは、試合形式の遊びではなく、シュート練習を行う形でなされる遊びであった。最初は私の体がうまく動かず、転がったボールに追いついて行くまでの足取りがとても遅かった。

以前の日記で書き留めていたように、夢の中の私の身体の重心は上に上がっており、地に足があまり着いていない感覚があり、それが転がったボールに追いつくことを難しくしているようだった。しばらくすると、徐々に地に足が着くようになり、そこからはシュートを打つたびに連続してゴールに入るようになった。

ゴールキーパーを務める友人をあざ笑うようなシュートを何本も決めた後、今度は私がセンタリングを上げ、ゴール前にいる何人かの友人がそれに合わせるという遊びを行い始めた。するとそこで夢の場面が巻き戻され、私は小学校時代に所属していたサッカーチームの監督とその息子である友人の家にいた。

私たち三人は物置のような場所の中にいて、そこでリフティングの練習をしていた。監督自身はサッカー経験がほとんどないのだが、リフティングが思いの外うまいことに私は少々驚いた。

「今度のリフティング検定では、いいところまで行けるのではないでしょうか?」と私が監督に述べると、監督は少々照れ笑いを浮かべながら「そうかもしれない」と述べた。だが、リフティングをしながら100mを歩ける子供が随分と増えきていることを考えると、仮に監督がそれをできたとしても、それは多くの子供たちができることの中に埋もれてしまうとも思った。

そのような夢を今朝方見ていたことを思い出した。夢の中の私の身体の重心は上に上がっており、以前述べたように、できるだけ重心を低くしたいと思っていたのだが、夢の自分の身体を操作することは難しかった。

しかし、サッカーをする遊びが進行していくに従って、徐々に地に足の着いた感覚が生まれていたことは興味深い。夢の中の身体の重心の上がり下がりについては、今後も観察と考察を続けていきたい。フローニンゲン:2018/11/4(日)06:50

No.1382: Morning Devotions

A new day silently began.

Praying to and for something, I’ll engage in today’s activities. Groningen, 08:01, Monday, 11/5/2018

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