top of page

3353. 芸術が開示する固有のリアリティ


今朝は五時前に起床し、五時半から一日の活動を開始した。ここ数日は五時前に起床することが多くなっており、早起きが定着している。

確かに気温は日ごとに低くなってきているが、部屋を暖かくしているおかげか、部屋の中では寒さが気にならない。これからより一層寒さが厳しくなってくるが、早寝早起きの習慣は今後も継続していこうと思う。

五時前に起床して一日の活動を始めると、その日の充実感が増す感覚になることを先日の日記の中で述べた。今日は日曜日であるが、普段と変わらずに探究活動と創造活動に従事しようと思う。

この時間の静けさについてはあまり述べる必要がないかもしれないが、今はまだ外の世界は闇と静寂さに包まれている。もう二時間ほどしたら夜が明けるだろう。

夜明けがやってくる前に、いくつかの活動に従事したいと思う。まずは早朝の作曲実践を行う。

いつものようにバッハの四声のコラールに範を求めて作曲する。昨日は一日の最後にモーツァルトに範を求めて作曲しようと思ったが、その他に優先することがあったため、モーツァルを参考にして曲を作ることができなかった。今日は午後に作曲する際には、モーツァルトの変奏曲を参考にしようと思う。

昨日は書籍を読みながら、ポール・ティリッヒが述べる芸術の価値について共感することがあった。その点については昨日の日記に書き留めているのだが、改めてそれに考えを巡らせている。

芸術作品の鑑賞や芸術の創造によってしか獲得されえないリアリティの認識が存在しているということ。それは自分の体験から述べても全くもって正しいように思う。絵画や音楽などを含め、芸術と深く関与する前の自分のリアリティの認識と、今のそれとを比べてみると、両者の間には随分と差があるように思う。

芸術を通じて、私たちがそれを通じなければ見えないリアリティが認識できるようになるというのは大きなことだと思う。多様なリアリティを認識することは、私たち自身を深め、私たちの人生を深めてくれる。

芸術の価値の一つにこの点を認めることができるのであれば、そこに芸術教育の価値があるように思えてくる。芸術教育の一つの価値は、科学やその他の領域を通じては開示されないリアリティを私たちに認識させてくれることによって、自己及び人生を広く深くしてくれることにあるのではないだろうか。そのようなことを改めて考えていた。

時刻は午前六時に近づきつつある。早朝の作曲実践を終えたら、今日はボストンの古書店で購入した“Standardized Minds: The High Price of America’s Testing Culture and What We Can Do to Change It (1999)”と“Frames of Mind: The Theory of Multiple Intelligences (1983)”の二冊を読みたいと思う。

それら二冊の書籍を読了すれば、未読の書籍は全てなくなる。明日以降は、読みたいと思う書籍をその日の直感に任せて読み進めていくことにする。

読みたい書籍の読みたい箇所を読み進めていくことによって、認識世界を豊かにしていこうと思う。フローニンゲン:2018/11/4(日)05:43

No.1381: A Ray of Ascending Light

The sun set, and a dark night came with a ray of ascending inner light.

I’ll finish my today’s activities in a little while. Groningen, 20:44, Sunday, 11/4/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page