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3350. 夢の振り返りと昨夜の時間感覚


時刻は午前六時を迎えた。今日は土曜日であるから、この時間帯はとりわけ静かであり、外の世界の音は一切聞こえない。

まだ鳥も鳴き声を上げておらず、生命の活動が始まるのはもう少し後のようだ。朝日さえ見えないため、全てがまだ休息の最中にあると言ってもいいかもしれない。

そうした中、私はゆっくりと今日の活動を開始した。今朝方に見た夢について先ほど振り返っていると、三つの場面の場所と登場人物が組み合わさっている夢だったということに改めて気づいた。

最初の夢の場面が最後の夢の場面と同様であり、二つ目の夢の場面で現れた人物が最後の夢の場面でも出てきた。そういえば、最後の夢の場面の中で、私は自分の描いた絵を男の子の父親に説明した後、三人で工場内に置かれていたショーケースを見に移動したことを思い出した。

そこには工業製品だけではなく、小さな人形も置かれていた。男の子はまだ小さかったため、私は彼を抱きかかえ、ショーケースの上の方に置かれている人形を見せてあげた。

男の子は目を輝かせながら、そこに置かれている数々の人形をじっと見つめていた。そのような場面があったことを思い出す。

とりわけ最後の夢の場面の中で自分が述べていたように、創造物を熟成させる期間というのは大切であり、同時に創造に創造を重ねることの重要性を改めて感じている。今日も創造活動に従事し、創造されたものを寝かせ、以前に創造されたものに新たなものを付け加えるような創造活動に従事していく。

書斎の窓の外に広がる闇の世界を眺めていると、昨夜の時間感覚について思い出した。昨夜、就寝前に、柔らかく、黄緑色の時が流れていることを知覚した。

一日が終わりに向かっていく最中に感じていた、あの時間感覚について再度思い出し、今の時間感覚と比較をしてみた。今の時間感覚は、色も形もほとんどないような無色透明の時が流れているような感じがする。

そうした時が流れているというよりもむしろ、「時がある」と述べた方が正確かもしれない。一つの全体としての時がその場に佇んでいるような感覚に今の自分は包まれている。

今日はこれから過去に作った曲を聴きながら、内的感覚を絵として表現し、その後、バッハの四声のコラールに範を求めて作曲をする。作曲実践の際には、自分が脳のどのような部位を活用しているのかを意識してみる。つまり、脳のどのような部位が活性化されているのかを感覚的に把握してみるという実験を行う。

作曲実践がひと段落したら、“The Logic of Education (1970)”の初読を行おうと思う。今日は本書を読み終えたら、次の書籍に取り掛かるのではなく、現在協働執筆中の書籍の原稿のレビューを行い、自分が担当しているコラムの執筆を行おうと思う。

昨日原稿が届き、今日中にレビューとコラムの執筆を終えたい。一日ほど文章を寝かせ、明後日に再度自分の執筆した文章を確認した後に、原稿を協働執筆者の方に送る。

幸いにも、本書は私が想定していたよりも早く出版されるようだ。来年の一月のどこかで本書が世に送り出されることを今から楽しみにしている。フローニンゲン:2018/11/3(土)06:19

No.1379: Peaceful Noon

It’s noon now.

Both outside and inside worlds are very peaceful. Groningen, 12:06, Sunday, 11/4/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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