時刻は午前十時半を迎えつつある。早朝より清々しい空が広がっている。
確かに少しばかり薄い雲が空を覆っているが、そのおかげか、太陽の光が優しく地上に降り注いでいる。天気予報によれば、昼過ぎまでは今のような天気が続き、夕方近くから雨が降り出すようだ。
今の天気からは全く想像できないのだが、午後から雨雲が発生するらしい。
昨日の午後は、街の中心部に買い物に出かけ、一時間ほど散歩を楽しんだ。一時間ほどの散歩はとても良い気分転換になり、それが今日の午前中の取り組みに反映されているかのようだ。
身体を整えることによって、日々の活動の充実感がより増していくのを感じる。今日はせっかく午後まで晴れるのだから、昼食前に近所のノーダープラントソン公園へランニングに出かけようと思う。
気がつけば、今日から11月に入った。11月を迎え、秋がよりいっそう深まることになるだろう。それと合わせて、自分自身の存在及びライフワークも深まりを見せていくことを期待する。
早朝にバッハに範を求めて作曲をした時、今朝方見ていた夢の続きを思い出した。キャンプ場のロッジに宿泊する夢の後、私は自分の作ったピアノ曲がオーケストレーションされるという夢を見た。
誰がオーケストレーションをしてくれたのかわからないが、自分が作ったピアノ曲が交響曲に変貌することに驚きと共に幾分感動した。しかも、その曲をある交響楽団が演奏してくれることになり、喜びもひとしおだった。
演奏会が行われたのはコンサートホールの中ではなく、屋外だった。演奏の開始前に、私は交響楽団の演奏者の方たちに挨拶をした。
その中で一人の方が、私の作った曲は非常にシンプルだが、何かが伝わって来る曲だと述べてくれた。日々、その瞬間に生起する感覚を曲の形にしているだけなのだが、それがオーケストレーションされ、さらには演奏会で演奏される光景を目の当たりにして、作曲行為の持つ社会性を実感した。
今朝方はそのような夢を見ていたことを先ほどふと思い出した。現実世界において、私の曲が演奏会で演奏されることなどないであろうが、自分の作ったピアノ曲がオーケストレーションされることによって交響曲に変貌を遂げ得ることは興味深かった。
以前に、オーケストレーションの技術についても学んでいこうと思っていたが、それは交響曲を作るためでは決してなく、ピアノ曲の作曲に何か活かせることがあると思ったからである。今後しかるべき時期が来たら、オーケストレーションの技術に関する書籍を購入し、独学を進めていこうと思う。
昨日の午後は、活字世界から離れ、ゆったりとした時間を過ごしたおかげか、午前中の読書がとてもはかどった。“The Timeliness of George Herbert Mead (2016)”の初読を終え、改めてミードの理論のいくつかの観点には注目に値するものが含まれていると思った。
それは発達理論の観点や自己と世界の関係性に関する観点などである。今日はこれからランニングに出かけるまでの時間を使って、“The Aesthetic Development: THe Poetic Spirit of Psychoanalysis (2010)”の初読を始める。
本書はおそらく夕方までに全体を読み終えることができるだろう。フローニンゲン:2018/11/1(木)10:35
No.1372: Autumn Celebration
It stopped drizzling a couple of hours ago.
Gentle sunlight is embracing Groningen now.
I can hear a song for celebration. Groningen, 08:43, Friday, 11/2/2018