午前七時を迎え、少しずつ辺りが明るくなってきた。今日も一日中、鬱蒼とした空を見ながら自分の取り組みに従事していくことになるだろうが、今の自分の心は晴れ渡っている。常に爽快さと落ち着きを持った心がここにある。
今朝方見ていた夢について再び思い出している。多くの人はなぜ過去の自分に縛られたまま生きようとするのだろうか。新たなことを学び、新たな自分に変容していく一歩を踏み出すのに躊躇するのはなぜなのか。そのようなことを改めて考えていた。
夢の中で現れた、私の友人の発言と心意気はとても正しいように思う。彼女は、「私、今から何でも学べそうな感じがする」と述べ、その時の彼女の活き活きとした表情と発せられている溌剌としたエネルギーを忘れることはできない。
一方で、そうした彼女の発想に対して疑問を呈するような態度を取っていた他の生徒たちの暗く重たい雰囲気についても忘れることはできない。生きることに関して、学ぶことに関して、多くの人は本当に限定的なものの見方、あるいな何かに縛られたような見方しかできないのだと改めて思う。
夢の中で現れた女性友達は、教室に入ってきた時は中学生時代の面影を持っていたが、教室を後にする時は40代も半ばを迎えたような姿になっていた。それでも彼女は、活き活きとした表情を浮かべ、まるで子供のように、新たな挑戦に向かっていくエネルギーを発していた。それは黄色に輝くエネルギーであった。
もしかすると、彼女は現実世界で40代の後半を迎えた時に、本当にドイツ語を学び始めるのかもしれない。しかもドイツに移住する形で。
数日前に、ある協働プロジェクトに関するオンラインミーティングをしている最中に、年齢と人間発達の話題となった。そこで私はいつも自分が考えていることを素直に述べた。
それは端的には、人は皆、65歳までは少年少女であり、65歳から80歳ないしは85歳ぐらいまでが青年期だというものだ。80歳か85歳を迎えてようやく人は大人になり、そこから大人としての成熟した人生を歩んでいく。
それぐらいに人は未熟であり、同時に人はそれほどまでに若くいられる。厳密には、80歳や85歳で大人になったとしても青年期のような若いエネルギーを持って日々の活動に取り組むことは可能であり、むしろそれが自然なのだと思う。
私が長らく師事をしていたオットー・ラスキー博士は今年で82歳を迎えた。80歳を超えても——いやむしろ、80歳を超えたからこそ——、ラスキー博士は日々様々な活動に精力的に取り組んでいる。
先日ハーバード大学教育大学院を訪れた時にお会いした、キャサリン・エルギン教授は今年で71歳になるが、青年期のような溌剌としたエネルギーを持ちながら知的活動に従事していることを感じた。そのエネルギーの強さには圧倒されてしまうほどであった。
過去の自分に縛られながら生きることや、若く溌剌としたエネルギーを失って生きることはやめにしたほうがいいのではないだろうか。私たち人間は、確かに一生涯をかけて発達を遂げていくが、変わらないものがある。それは、私たちは絶えず新たな存在に向かっていくということだ。
新たな自己に向かうためには溌剌としたエネルギーが必要であり、過去の囚われから解放されていく必要があるということを忘れてはならない。フローニンゲン:2018/10/30(火)07:30