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3294. 永遠なる魂の表れとしての日記


時刻は午後の四時を迎え、夕方の落ち着いた雰囲気がフローニンゲンの町を包んでいる。午前と午後の双方において、読書を進めている最中にふと、美学や芸術教育の哲学に関する書籍を持って世界中を旅行し、各地の様々な美術館を巡る自分の姿が脳裏に浮かんだ。

その姿が喚起されると、そのようなことが実現されているわけでもないのだが、そこに充実感を見出している自分がいた。人間の想像力には不思議な力が備わっており、こうした自分の感情と密接に結びついた心象イメージは本当に実現するかもしれない。

早朝と昼食前に作曲実践を行い、すでに二曲ほど作曲をし、今日は読書に加えて日記の執筆もいつものように行っている。先ほど日記について考えを巡らせていると、確かに私は日記をウェブサイト上で公開しているが、それは誰かに読んでもらうことを意図しているというよりも、インターネットという情報空間の中に自分の生命を移植している行為のように思えた。

私が生まれた時にはすでにこの世を去っていた森有正先生の日記に対して、それが執筆された60年後に私に多大な影響を与えることがあるというように、確かにウェブサイトで公開している日記は、50年後、100年後に自分と似たような魂を持つ人に向けて書き残していると言うことができる。

ただしそれは、書き残していったものが生み出す偶然の産物のような出来事に過ぎないだろう。一方で、ウェブサイトに自分の書いたものを記号情報として残しておくというのは、永遠性を希求する人間の性の現れなのかもしれないと思った。

書き手はいつかこの世を去るが、書いたものはこの世を去らない。もちろん、書いた書籍などが絶版となり、無数の書籍の中に埋もれてしまうことや、インターネットが崩壊することによって、情報が消失する可能性などはなくはないが、膨大に書き残していったものは何らかの手段でこの世に残り続けるのではないかという思いが強くある。

これまで無意識的に日記を毎日ウェブサイトで公開記録していたが、その背景には、永遠を求める魂の特性があるのかもしれない。いや、別の見方をすれば、永遠である魂の表れの行為としてそれがあるのかもしれない。そのようなことを考えていた。

先ほど教育哲学に関する書籍を読み終えたので、今日はこれから、当初予定していなかったが、キャサリン・エルギン教授とネルソン・グッドマンの共著である“Reconceptions in Philosophy and Other Arts and Sciences (1988)”を読み始めたい。

一時間ほど本書を読んだら、モーツァルトに範を求めて本日三度目の作曲実践を行う。夕食後には、メールの返信をし、今日も早めに就寝するようにしたい。フローニンゲン:2018/10/20(土)16:08

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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