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3293.「内省的抽象化」「階層的統合化」「階層的複雑性」について


午前十時を迎えると、早朝に空を覆っていた薄黒い雲がどこかに消え去っていることに気づいた。今は薄い青空が広がっていて、穏やかな朝日がフローニンゲンの街を包んでいる。

今日は休日ということもあってか、辺りはとても静かだ。フローニンゲンの休日を象徴するような雰囲気が滲み出ていることに気づく。

今日は早朝から室内が冷えており、ヒーターをつけざるをえなかった。今、少しずつ部屋が暖かくなっている状況の中で、これから昼食までの取り組みを行っていきたいと思う。

具体的には、リルケの詩集を読み、ハイドンに範を求めて作曲をすることである。昼食後には過去の日記を編集し、仮眠を取った後に、教育哲学に関する書籍を読み進めていく。

つい先ほど、“Handbook of Adult Development and Learning (2006)”の残りの章を読み終えた。今回の再読も実り多く、数多くのメモをノートに書き留めながら考えを深めることができた。

人間発達に関する自分の考えはゆっくりとだが、着実に育まれていることを実感する。ここからは本当に、思想的な探究を真剣に行っていくことを改めて自らに誓いたい。

自分の関心テーマを探究するために必要な哲学領域が何かが徐々に明らかになってきており、当面は認識論と批判理論の双方の書籍を数多く読み進めていくことになるだろう。そしてできれば、それらの哲学領域を専門とする師を持ち、彼らとの対話を通じて自分の思想を育んでいくようにしたい。来年また大学院に戻ることの意義はまさにそれを行うためだろう。

早朝の日記の中で、レクティカの創設者であるセオ・ドーソン博士の論文を読んでいたことを書き留めていたように思う。その論文を読みながら、改めていくつかの概念について考えていた。

ピアジェは「内省的抽象化(reflective abstraction)」という概念を提唱しており、これは何を意味しているかというと、現在の発達段階の思考や感覚は無意識的に生起するが——この点において、“reflective”は「反射的」とも言える——、それを客体化(抽象化)することによって、私たちは次の発達段階に向かっていくことを指している。

そしてその結果として生じるのが、これまでの段階の思考や感覚が一段高い次元でまとめ上げられる「階層的統合化(hierarchical integration)」という現象である。さらには、この階層的統合化は発達のプロセスの中で継続して起こり、それが階層構造を生んでいく。それを「階層的複雑性(hierarchial complexity)」と呼ぶ。

レクティカを含め、発達心理学の枠組みに基づくアセスメントは、ある領域内における階層的複雑性に焦点を当てていることは、先ほどの日記で述べたとおりである。だが、先ほどの日記の中では、階層的複雑性というものがそもそも何かについて書き留めていなかったので、ここでそれについて言及しておく。

改めて私が興味深く思っていたのは、現在の発達段階で無意識的に生じる思考や感覚をある時何かしらのきっかけで内省できるようになり、これまでの思考や感覚を一段高い次元でまとめ上げられる力が私たちの内側に存在しているということだ。

さらには、そうした力によって生み出された構造が階層構造をなすという点も改めて興味深いと思う。フローニンゲン:2018/10/20(土)10:25

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