今朝、六時半あたりに起床してみると、随分と室内が寒く感じられた。起床してすぐに天気予報を確認してみると、外気が3度ほどまで下がっていることに気づいた。
数日前までは秋にしては暖かい日が続いていたため、その差によって今朝の寒さがよりいっそう強く感じられた。今日からはもう、最高気温が15度に満たない日が続いていくようだ。季節がゆっくりと冬に向かっているのを実感する。
昨日は久しぶりにランニングをし、随分と爽快な気持ちになった。改めて心身一如であることを知る。週に一度は必ずランニングをするようにし、ヨガの実践は毎日継続していく。
とにかく身体から全てを始めていくこと。適度な運動と栄養のある食事、そして良質な睡眠。これら三点がなければ、充実した探究活動と創造活動を日々行っていくことはできないだろう。どれか一つが欠けてはならず、それら全てを一つの生活実践として徹底していく。
今日はこれから早朝の作曲実践を行うが、その際にはハイドンに範を求めようと思う。午後にはモーツァルトに範を求め、夜はバッハの曲を参考にする。
昨日改めて、ハイドンとモーツァルトの曲を大方参考にしたら、やはりバッハに戻っていこうと思った。究極的にはバッハに行き着くのだろう。
そのような思いから、昨日は久しぶりに、バッハの曲を聴きながら、該当曲の楽譜を目で追って確認することを行っていた。バッハは本当に汲み取ることの多い偉大な作曲家であると思う。
そこからは、表現するということについて考えていた。表現するということが、仮に語源通りに、自分の内側のものを絞り出し、形を生み出していくことであるならば、英語で論文を執筆していくことは、まさに自分にとって重要な表現行為だと言えそうだ、ということに気づいた。
英語でものを考え、それを文章にしていくことは、内側のものを絞り出し、それを造形していくという感覚がいつもしている。そうした点において、英語で論文を執筆することは、自分にとって大切な表現行為の一つなのだということを再認識した。
この再認識が、再び学術機関に戻ろうとしている自分の心を後押ししている。やはり私は日本語のみならず、英語でも文章を執筆したいのだろう。
どちらの言語も私にとって大切であり、両者は共になくてはならないものだが、英語で文章を執筆する際の構築的な感覚は独特だと思う。今はまだ未定であるが、博士課程に進学することをこの先選択したら、その時には、英語で論文を執筆していくという表現行為の意義を今よりも強く実感しているに違いない。フローニンゲン:2018/10/19(金)07:18
No.1354: Night after the Rain
I spent time today with a sense of fulfillment.
I expect tomorrow to be the same as today with full of satisfaction.
I’ll go to bed in a meditative way. Groningen, 20:15, Saturday, 10/27/2018