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3273. アルフレッド・ビネーのIQテスト


今朝のフローニンゲンは少しばかり霧に包まれており、霧の中で輝く光をぼんやりと眺めていた。今はすっかりと辺りは明るくなり、穏やかな平日の雰囲気が広がっている。

早朝に、テレマンに範を求めて一曲作った。それはとても短い曲だったが、朝の雰囲気とそれに応じて喚起された自分の内側の感覚をうまく表現していたように思う。

作曲を終えた後に洗濯をしていると、仮に自分なりの作曲語法が確立されたとしても、私は一生を通じて過去の偉大な作曲家の曲に範を求め続けるような気がした。もちろん、自分の作曲語法が確立されれば、そこからはその瞬間に喚起されている感覚、もしくは何か特定の出来事を想起した際に喚起される感覚を自由に曲に表現していくことができるだろうが、そのような状態になったとしても、私は過去の作曲家との対話のために、彼らの楽譜を参照にしながら曲を作ることを続けていくように思った。

以前の日記でも言及していたが、過去の作曲家の楽譜を紐解き、それと向き合いながら曲を作っていくことは、彼らとの対話に他ならないのだと改めて思う。どれだけ作曲技術が向上したとしても、過去の偉大な作曲家との対話を継続させていきたいと思った。

計画通り、午前中にザカリー・スタイン博士の書籍を読み終えた。本書の一端には、IQテストが本来の目的を離れて、いかに米国社会で問題のある形で大規模展開されていったのかの歴史が記述されている。

とりわけIQテストを開発したフランスの心理学者アルフレッド・ビネーは、実は相当に注意深くIQテストを活用しようとしていたことがわかる。より厳密には、ビネーは確かにIQテストという非常に限定的な尺度に基づいたアセスメントを開発したのだが、そもそも人間の知性がそのような単一的な尺度で測定できるほどに単純なものではないことを見抜いていた。

スタイン博士が引用しているビネーの生の声明を読んでいると、知性の複雑性に対する正しい認識をビネーが持っていたことがわかる。さらにビネーは、そうしたIQテストを活用する際には慎重を期すべきだという認識も強く持っていた。

ビネーはそもそも、IQテストを通じて、精神的な年齢と実年齢の乖離を明らかにし、特別な教育を必要とする子供を特定し、そうした子供にふさわしい教育機会を提供することを目的にしていた。つまり、ビネーは決して、IQによって子供たちを序列化したり、単にアセスメントをして終わりにするような発想を持っていなかったのだ。

ビネーはそうした志を持っていたのだが、IQテストの完成前にこの世を去った。その後、IQテストがどのように世界で活用されたかは私たちの知るところだろう。

スタイン博士の書籍を読んでいると、米国では軍がIQテストを徴兵選抜のために大規模に活用するようになり、そこではビネーが恐れていたように、IQテストは単なる選抜のための——序列化のための——アセスメトに成り果ててしまった。

スタイン博士は非常に綿密にそうした歴史を辿りながら、現代社会において社会正義を実現させるアセスメトはいかなる特徴を持つべきかについて、哲学的な思想を展開している。

アセスメントにまつわる歴史の辿り方、そこから現代社会において求められるアセスメントの特性とあり方について原理にまで辿って思考を深めていく方法は、今後自分が芸術教育の歴史と現代に求められる芸術教育の特性を考察していく際にとても参考になるだろう。フローニンゲン:2018/10/16(火)11:03

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