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3270. 意義のあるアセスメントについて


人間発達や教育を取り巻く既存のアセスメントは問題が山積みにあるが、いっその事そうしたアセスメントを排斥した方が良いのではないか、という発想もまた非常に短絡的である。

現在読み進めているザカリー・スタインの“Social Justice and Educational Measurement (2017)”の中で指摘されているように、アセスメントは確かに社会悪を醸成することに使われる可能性があるが——現在はそのように使われている場合がほとんどだろう——、社会善を実現するために活用することも可能である。

既存のアセスメントの否定的な側面についてこれまで何度も書き留めているため、ここではこれまで言及してこなかったアセスメントが果たす役割について述べておきたい。社会的な次元で考えれば、意義のあるアセスメントは社会の基礎的な基盤を育むことにつながり得る。

そもそも、ここで述べている「意義のあるアセスメント」というのは、スタインが提唱している三つの条件を少なくとも満たしているもののことを言う。一つはそのアセスメントの客観性(心理統計学の専門用語で言えば、信頼性や妥当性など)を満たしているということ。

二つ目は、そのアセスメントがアセスメントを受ける者のニーズと関連しているということ。三つ目は、そのアセスメントを受けることによって、そのニーズに関してアセスメントを受ける者が何らかの便益を得られるということ。

既存のアセスメントの多くは、下手をすると最初の条件ですらも満たしていないものがあり、教育の世界においては、二つ目と三つ目を満たしているものはほとんど存在しないのではないかと思われる。この点については過去の日記で何度も指摘したものであるため、今はここで説明することをしない。

いずれにせよ、意義のあるアセスメントは上記の三つの条件を少なくとも満たしている必要がある。そうしたアセスメントが社会の基礎的な基盤を育むことにつながり得るというのは、例えば、ベーシックインカムを満たしているかどうかを判断するためには、何かしらのアセスメントを実施する必要があり、そのアセスメントの結果を受けて、ベーシックインカムを満たしていない人々は様々な社会保障の恩恵を享受することができる。

また教育の世界を例に取れば、アセスメントがあることによって、その子供が失読症や特別な才能を持っていることが判明し、彼らに必要な教育を提供することにつながる。仮にアセスメントを一切排除してしまうとすれば、アセスメントによってもたらされるそうした社会的な便益までもが消失してしまうことになる。

そのため、確かに既存のアセスメントの多くは様々な問題を含んでいるが、アセスメントを排除して人間発達や教育を行おうとすることもまた大きな問題であることが見えてくる。

ここでは「アセスメント」を一つの例に取り上げたが、社会善を実現していくアセスメントとは何かを考えていくことと、社会善を実現していく芸術教育は何かを考えていくことは、大きくつながる部分があるように思えてくる。そうした連関を探るべく、午後からもスタインの書籍の続きを読み進めていく。フローニンゲン:2018/10/15(月)11:57

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