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3266. 見えない捕食者


時刻は午後の七時半に近づきつつある。この時間はもう辺りが闇に包まれている。サマータイムが終了するのは二週間後の日曜日だ。

先ほど夕食を摂りながら、改めて科学と哲学のつながりについて考えていた。この二年間科学的な研究に従事している際は、自分は人間発達に関する真実のみを探究しているという錯覚のようなものがあったことに気づく。

そこで行われていたことは、真の領域に関する実践であったことは間違いないが、科学的な研究には絶えず価値判断の問題が含まれており、それは多分に美や善の領域と不可分であった。哲学的なメタ理論を哲学的な思想を通じて構築していく際には、科学的な真実がそれに影響を与え、逆に科学的なメタ理論を科学的な実証を通じて構築していく際には、哲学的な思想の枠組みがそれに影響を与える。

両者は共に相互依存関係にあり、それらを分離することはできないのだということを改めて知る。そこでは分業は存在していたとしても、それらを完全に分離化させてしまうことは、片方の陣営は片方をこちらに還元するというような還元主義的な発想を招いてしまうだろう。そのようなことを夕食を摂りながら考えていた。

今日は日曜日ということもあって、これから一時間ほどはゆっくりしようと思う。具体的には、以前フィンランドの最古の都市トゥルクにあるシベリウス博物館を訪れた際に購入したDVDを鑑賞しようと思う。

北欧旅行から帰ってきてしばらく経つが、まだそれを鑑賞できていなかったため、今日はそれを鑑賞したいという気持ちと時間的なゆとりの双方がある。シベリウスがこよなく愛した自然を背景に、シベリウスの美しい音楽が40分ほど続く仕立てのDVDだ。

午後にハイドンの曲を参考に作曲実践をしている際に、早朝に小鳥が散歩している姿を目撃したことを思い出していた。数羽の小鳥が木々をあたかも散歩をするかのように動いている様子は実に愛らしかった。

相変わらず小鳥たちは頭をキョロキョロさせながら、外敵がいないかどうかを気にしているようだった。それほどまでに警戒心を持っていると、心が休まる暇もないのではないかと思ったが、彼らが生存していくためにはそのように生きていくしかないのだろう。果たして私たち人間はどうだろうか。

もしかすると、日々の今この瞬間に私たちの心が休まっていないというのは、絶えず精神的な生存の危機に晒されているような状態の中で生きていると言えるのではないだろうか。

先日、近所のノーダープラントソン公園を歩いている時に、いつも見かけるカモの大群を見かけた。それらのカモは、人懐っこいのか、人を一切警戒することなく堂々不敵に池の周りにたむろしていた。

早朝に見た小鳥と比較してみると、カモを捕食するような動物はそれほどおらず、彼らはあまり警戒心を持たないような状態で生活をしているのではないかと思った。実際に私がカモに近づいても、カモは逃げ出したりはせず、少しばかり場所を移動するだけだ。

ここから考えさせられたのは、もし私たちが毎日何かしらの警戒心を持って生活せざるをえないような状態にあるのであれば、そこには私たちを捕食するような存在がいるからなのではないか、ということだった。

もちろんここでは、私たちの肉体を捕食するような存在ではなく、私たちの精神を蝕む見えない存在のことを指している。心が休まらない陰には、見えない捕食者の影がある。

早朝の小鳥の姿を思い出しながら、そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2018/10/14(日)19:44

No.1350: A Sense Before Dark

Now, it is approaching 5PM.

I can see a radiant sky from the window with raindrops. Groningen, 16:55, Friday, 10/26/2018

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