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3262. 動物を愛でる気持ち


今日は本当に爽やかな土曜日だ。早朝には、澄み渡る空に飛行機雲がかかっていて、それを眺めていると、自分もどこか遠くの世界に運ばれていくかのような感覚があった。

今日は一日を通して暖かく、書斎の中では半袖で過ごしていた。ちょうどチーズが切れたので、昼食を摂って仮眠を取った後に、行きつけのチーズ屋に散歩がてら向かった。

道中、街路樹はもう随分と紅葉しており、落ち葉も道に落ちているぐらいであったが、今日はとても暖かいため、人々は一様に半袖で過ごしているようだった。日向ぼっこのためか、椅子を家の外に出して、そこで読書やおしゃべりをしている人たちの姿を多く見た。

街の中心部に行くと、休日の平和な雰囲気の中、多くの人が買い物を楽しんでいるようだった。チーズ屋に到着すると、今日はいつもの店主のうち、一人の店主がおらず、アルバイトの学生のような女性が一人いた。

その外見はどこか今日いない店主の外見と似ており、もしかすると娘なのかもしれない。今日はいつもと違うチーズを食べたい気分であったから、これまでよく食べているチーズとは少し違うものを購入することにした。

いつもは長く発酵されたチーズを購入するのだが、今日は比較的若いチーズを購入した。チーズ屋で買い物をし終えると、再び来た道をゆっくりと歩いて帰った。

その最中、そして今も、どこか瞑想の意識状態であるかのような状態が続いている。心の内側は極めて静かであり、気づきの意識が続いている。

帰り道に、散歩中の犬や、道端でウロウロしているハト、そして丸まってくつろいでいる猫などを見かけたが、動物たちが一様に愛おしい存在に思えた。そういえば動物を愛でるこの感覚は、先日のボストン旅行でも感じたことだった。

ハーバード大学の敷地内では、よくリスを見かけることがあった。リスを見かけるたびに、そこで少し立ち止まり、リスの様子を観察することを無意識的に行っていた。

ある日、とても可愛らしいリスが木の近くにいて、穴を掘って何かを埋めている姿を見かけた。きっと、木の実か何かをこっそりとそこに埋めていたのだろう。

このリスの行為から、リスは短期記憶だけではなく、長期記憶も持っているのだと推測した。穴を掘って埋めた木の実をまたいつか食べるためには、埋めた場所を覚えておく必要があるだろう。

仮にリスは犬と同じぐらいに嗅覚がよく、長期記憶など必要なく、その場所の近くに行けば匂いで木の実のありかがわかるとすれば、それは他のリスにとっくに食べられてしまう可能性があるため、やはり長期記憶が備わっていると考えた方が良さそうだ。

あるいは、やはり長期記憶などリスにはなく、犬並みの嗅覚が備わっていて、そのリスが木の実をそこに埋めたのは、自分が食べるためではなく、他のリスが食べるためであったのなら、驚くべきほどの利他心を持っていることになる。

そのようなことを考えながら、リスが必死になって穴を掘って木の実を埋める姿を見守っていた。あのリスを眺めている時も、私は愛しい気持ちを抱いていたのを覚えている。

今日はこれから、大学院への出願に向けた準備を進めていきたい。推薦状を執筆してくださる三名の方へ、今回どのような経緯で芸術教育に自分が関心を持ったのかを伝えるために、志望動機書のドラフトを送ろうと思う。

どうやら推薦状のドラフトをこちらで書くことは許容されていないらしいので、どのような観点で推薦状を書いてもらうかだけを伝えるに留める。推薦状の依頼に向けた準備を終えたら、作曲実践を行い、夜からは再び読書に打ち込みたいと思う。

明日からは、つい先ほど届けられた“Social Justice and Educational Measurement (2017)”を読み始める。本書は、私が過去八年間ほどその仕事を追いかけ続けている、ザカリー・スタイン博士が執筆したものだ。

スタイン博士の論文や書籍から得られる洞察がいつも豊富であり、本書もまた無数の洞察を私に提供してくれるだろう。フローニンゲン:2018/10/13(土)15:49

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