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3257. テレマンとバッハの曲:芸術教育を取り巻く価値観の変遷過程


たった今昼食を摂り終え、これから午後の活動に入る。今日は早朝から、心身が活力に満ち溢れており、探究活動と創造活動を前に進めていく上で申し分のない状態が続いている。

早朝より聴いているテレマンのピアノ曲は本当に美しく、心身に落ち着きをもたらしてくれる。季節は枯れ葉が舞う時期に入ってきており、それは同時に、自分の内側の何かが深まっていくことも表している。こうした秋の雰囲気に調和するような音楽世界をテレマンの曲は持っている。

午前中にはバッハの変奏曲を参考にして一曲作った。バッハの曲を参考にするのは、やはり非常に勉強になると改めて思った。おそらくバッハが一つ一つの曲を念入りに構築しているためか、曲の構造を一つ一つ追っていくことが学びになっている。

確かに、そうした構造を一つ一つ丹念に追っていくことは骨の折れることであり、時間がかかるのだが、それに見合うだけの学びがそこにある。早朝にはいつも、構造的に簡易な曲を参考にして曲を作っているのだが、今日はバッハの構造的にしっかりとした曲を参考にしたこともあり、作曲実践に随分と時間を充てていたように思う。

今日も午後と夜に二度ほど作曲実践を行う予定であり、その際にはモーツァルトの変奏曲を参考にしようと思う。今参照しているモーツァルトの楽譜の中には、まだまだ参考にしていない曲がたくさんあるため、一日に二曲ずつモーツァルトに範を求めるのは悪くないペースだと思う。

午前中の作曲実践が終わった後に、“A History of Art Education: Intellectual and Social Currents in Teaching the Visual Arts (1990)”の続きを何章か読んでいった。今回は初読であるため、各章の要約を丹念に読み、その後本文の中で関心を引くテーマについて読解を進めるようにしている。

本書は確かに、日本やアジアの芸術教育の歴史的変遷について一切触れておらず、それは本書の主題でもないのだが、欧米の芸術教育の歴史を辿っていくと色々と見えてくることや考えさせられることがある。芸術教育は単に抑圧され続けてきたわけでもなければ、価値が一定のまま保たれてきたわけでもなく、社会の価値観に応じてその価値が随分とダイナミックに変動していることがわかる。

ここから私が関心を持ったのは、それぞれの時代において、どのような発達段階の価値観が芸術教育の世界の中で支配的であり、それが抑圧の方向に働いていたのか、それとも価値を高める方向に働いていたのかをまず調査してみたい。

そして、その後どのような価値観が台頭することによって、芸術教育の価値がいかように変遷して行ったのかを調べてみたいと思う。午前中と同様に、午後からもメモをノートに取りながら、思いついた考えをノートに書き留めていくような、能動的な読書を続けていく。

これから少しばかり過去の日記を編集し、散歩がてら近所のスーパーに立ち寄りたい。道中の街路樹が美しく紅葉している姿を見るのは、自分の気持ちをさらに落ち着かせてくれる。フローニンゲン:2018/10/12(金)12:49

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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