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3250. 研究手法の政治化

October 27, 2018

早朝に書斎の窓を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。新鮮な空気を部屋に取り入れると、どこか気分も爽快なものになる。

 

早朝に窓を開けていられるのも今のうちだと思うので、季節が冬を迎えるまでは、できるだけ早朝に新鮮な空気を部屋に取り入れたいと思う。

 

夕日のような朝日が辺りに降り注いでいるのを早朝に目撃した。それは本当に夕日と見間違えてしまうぐらいの朝日であり、早朝の時間に夕方のなんとも言えないような気分になった。今は午前十時を過ぎたこともあり、辺りはすっかり午前中の雰囲気を発している。

 

昨日一つ嬉しい出来事があった。とても些細なことかもしれないが、自宅の目の前の通りの工事が無事に終了した。ちょうど昨日の朝に、私は工事の最終作業の様子を観察していた。

 

今はすっかりと道路が見違えるように新しくなっており、新たに敷かれたアスファルトの色が濃すぎるぐらいである。確かに予想以上に工事の完成まで時間がかかったが、作業員の方たちが毎朝早い時間帯から働いていたことを知っている私にとって、道路の完成は感謝の念を引き起こす。

 

同時に、ゆっくりと着実に物事を進めていくことの大切さを改めて教わったように思う。歩道に関しては少し前に工事が完成していたが、今日からは自転車道も開通となったようである。

 

これからその道を通るたびに、夏から今日にかけて工事を行っていた作業員の方たちの姿を思い出すだろう。そして、日々の仕事を緩やかに絶えず進めていくことの大切さを毎回思うだろう。

 

早朝にテレマンの曲に範を求め、一曲作った。午後と夕方の作曲実践では、モーツァルトの変奏曲に範を求めようと思う。バッハの変奏曲に範を求めるのは明日にする。

 

午前中、教育哲学の書籍を読み進めていると、改めて、価値判断の介在しない研究は存在しないことがわかってきた。過去数年間、科学者として研究を進めていく中で、自分は真を司る領域を探究しており、自分の研究が美や善を司る領域とは切り離されたものであるという認識を持つ傾向があった。

 

しかし、研究者が採用する研究手法は、そもそも「政治化」されていることに徐々に気付き始めていた。研究手法が研究集団内の政治や社会的期待の影響を受けることはおそらく逃れられないことなのだと思う。そしてそれは決して悪いことではないのだと思う。

 

問題なのは、自らの研究手法が政治化されていることに無自覚であることや、それによって研究結果が研究倫理に反してしまうことだろう。より厳密には、研究手法のみならず、研究者の発想の枠組みそのものが政治化から逃れることはできないため、研究者としていかにそれらを自覚しておくかが、研究結果の歪曲化を防ぐためには重要だろう。

 

私が科学研究から離れていき、哲学探究に乗り出した背景には、科学研究における上記のような側面があったことが少なからず影響しているだろう。今度は哲学探究において同様の現象がどれほど顕著なのか、あるいはそれが水面下でどれほど起こっているのかに自覚的になるように努めようと思う。フローニンゲン:2018/10/11(木)10:29

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