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3249. 夢と昨日の意識状態


今朝は六時半を過ぎた頃に起床し、七時から一日の活動を開始した。昨夜は就寝前に、深い呼吸と共にいつもより念入りにヨガを行っていたためか、普段以上に睡眠の質が高かったように思う。そうしたこともあり、今朝の心身の状態は非常に良好だ。

この時間帯のフローニンゲンはまだ闇に包まれており、八時近くにならなければ明るくならなくなった。サマータイムが終了するまであと数週間ほどであり、ここからさらに日の出の時間は遅くなるだろう。

昨日の日記で書き留めていたように、ここ最近は記憶に残る夢を見ない日々が続いていた。今朝は起床した瞬間までは夢を見ていたことを覚えていたのだが、もうその記憶は曖昧になってしまっている。

ここ最近の夢は本当に逃げ足が速い。それはどこか言葉として形になることを嫌っているかのようだ。

夜が明けない空を眺めながら今朝方の夢について思い出そうとしてみるが、どうもダメなようだ。思い出そうとしても、夢の記憶が暗い空に吸い込まれてしまうかのようである。

そういえば昨日の早朝にコーヒーを入れた時に、リアリティを構成する無数の膜のうちの一つから外に出たような感覚があった。これと似たような現象は昨夜にもあり、その現象について少し考えていた。

欧州での生活が進むにつれて、自分の内側で諸々の事柄に対して目醒めていくような現象がゆっくりと生じている。昨日の体験もその一環だったように思う。

昨日の前者の体験は、おそらく目撃者の意識状態に近いものだと思う。後者に関してもそうした意識状態に類するものでありながらも、自己の根幹を探っていくような探索的な意識が働き、徐々に自己の深層に降りていくような感覚があった。

今日もそのような意識状態に参入する可能性があり、もしそうした状態を体験したら、再び考察を深めていこうと思う。このあたりは、確かに意識の段階とも関係してくる話だが、それよりもむしろ意識の状態に関する文献を参考にする方がいいだろう。そうした文献を参考にしながら、体験の分類をするだけではなく、体験の内容とその体験が持つ意味について吟味していきいたいと思う。

今日もまた読みに読み、書きに書き、作りに作る生活を送る。自分にはそれしかできない。

これからまずは、過去に作った曲を編集し、テレマンに範を求めて一曲ほど作る。ここ最近はバッハに範を求める際は、必ず四声のコラールに範を求めていたが、今日からバッハを参考にするのであれば、少し曲を変えてもいいかもしれないと思い始めている。

本日バッハを参考にするかはわからないが、明日以降にバッハを参考にする場合には、例えば変奏曲の続きを参考にしていきたいと思う。早朝の作曲実践を終えると、その流れで、ここ数日間読み進めていた教育哲学に関する論文集を読み進めていく。

おそらく本日中に初読が完了するであろうから、一読し終えたらその書籍から一旦離れ、今度は昨日届いた芸術教育の歴史に関する書籍を読み進めていくことにする。私の関心は、芸術教育が歴史を通じて抑圧されてきた要因やメカニズムを探ることであり、仮に歴史上において芸術教育の価値が認められる時期があった場合には、その要因やメカニズムを探っていくことにある。

そこから現代における芸術教育の意義と役割を考察していくことが現在の関心の一つである。そうした関心をさらに育んでくれるのが、“A History of Art Education: Intellectual and Social Currents in Teaching the Visual Arts (1990)”という書籍だと思う。今日から本書を読み始めることを楽しみに思う。フローニンゲン:2018/10/11(木)07:33

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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