つい先ほどボストンからオランダに戻ってきた。ニューヨークからアムステルダムまでのフライトは行きよりも一時間短く、六時間ほどであった。
フライトが夜の便であったため、夕食を摂った後、睡眠を取ることにした。飛行機での移動は想像以上に心身のエネルギーを使うため、フライトの間は無理をせず、長いフライトであれば必ず睡眠を取るようにしている。
今から一年前に日本に一時帰国した際に、長時間のフライトの間にほとんど睡眠を取らなかったため、日本に到着して数日間ほど体調を崩してしまった。その時の経験があるため、長時間のフライトの際には睡眠を必ず取るように心がけている。
フライトの最中に睡眠を取ったおかげが、今の心身の状態は良い。もちろん、長いフライトで疲労があることは間違いないため無理はできないが、この調子であればフローニンゲンに戻ってきてからも、近所のスーパーに買い物に出かけたり、探究活動と創造活動に少しばかり従事できそうだ。
今日のオランダの空は見事な秋晴れである。気温に関してはボストンよりも低いが、とても清々しい。時刻は午前十時を迎え、正午にはフローニンゲン駅に到着する。
先ほど上空からアムステルダムを眺め、スキポール空港に着陸した時、自分がどこか宇宙から帰還したかのような感覚があった。慣れ親しんだオランダに戻ってきた安堵感と同時に、オランダという国そのものを相対化するような意識が生起した。
ボストンの空港に着陸した際には、単なる接近しかなかったのだが、スキポール空港に着陸した時には、相対化からの接近があった。この違いは極めて大きいように思う。
ある国の文化を深く理解するためには、相対化からの接近が必要である。さらに言えば、一度その文化から離れることにより、これまで同一化していた文化から脱同一化する必要が最初のステップとしてある。
これは日本の文化を深く理解する際にも必要なステップであり、国の外に出てみて初めて、最初のステップである脱同一化が起こる。そのあとに、再びその文化に戻ってくるというプロセスを経ることによって、相対化からの接近が起こるように思える。
今、フローニンゲンに向かう列車の車窓からは、のどかな風景が見える。牛の大群が牧草を食べている。遠くの方にはヤギのような動物も見える。
右も左も酪農国らしい風景が広がっており、私をとても落ち着かせてくれる。こうした光景はボストンにはなかったように思う。
この生活環境の違いは私にとって非常に大きな意味を持っている。仮に来年ボストンで生活をすることになれば、それは修練と割り切る必要があるだろう。
ボストンにも自然はあるのだが、オランダのそれとは少しばかり異なる。人口密度も随分と違うため、ボストンではまた新たな心身を築き上げて生活を営んでいく必要があるだろう。
仮にボストンではなく、スイスのドルナッハで生活をすることになれば、オランダよりものどかな環境の中で過ごすことになるだろう。自分の運命はどちらに私を導くのだろうか。
今はどちらなのか全く予想がつかない。どちらであったとしても、自分の運命に身を任せ、自分のなすべきことを日々進めていくだけだ。フローニンゲンに向かう列車の中:2018/10/5(金)10:30