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3213.【ボストン旅行記】実践的な力について


明日のホテルのチェックアウトは午前11時とのことであり、フライトは夕方の五時であるから、ホテルを早めにチェックアウトし、明日もまたハーバード大学教育大学院(HGSE)の図書館に行きたいと思う。

そこでしばらく勉強し、昼食を摂ってから空港に向かう。ボストンからニューヨークに飛び、ニューヨークからアムステルダムに飛ぶというのが明日のフライトだ。

今日もこれからHGSEの図書館に行き、到着したら一階のカフェでオーガニックコーヒーを購入する。それを勉強の友にし、持参した本を昼食まで読み進める。

新たな学期が始まって間もないということもあり、昼食時にはカフェはいつも盛況である。ボストン滞在中は、ほぼ毎日のようにHGSEの図書館に行き、そこで探究活動を進めている。

自らの人生が探究そのものと一体化し、探究で得られたものをこの世界に還元していこうという思いが日増しに強くなる。この世界に関与していくためには、今の自分の学びでは不十分であることは明らかだ。

昨日もふと、「力」について考えていた。それは利己的な権力を意味するのではなく、この世界に関与していくための実践的な力のことを指す。

そうした実践的な力の根源には、知識と経験があり、知識と経験を大きな叡智に結晶化させていくことが自分に課せられていることのように思えてくる。端的には、今の私はそうした力が欠如している。

これは「欠乏欲求」に基づくようなものではなく、事実としてこの世界に関与するための力が圧倒的に不足しているということを日々突きつけられているという経験から生まれているものだ。

来年再び大学院に戻り、新たに探究を進めていこうとしているのも、一つは実践的な力を養っていくことが目的にある。その実践的な力とは繰り返しになるが、知識と経験の総体のことを指す。

人間発達や教育を探究している私にとっての実践的な力とは、人間発達や教育に関する知識と経験であることは言うまでもない。ここで述べている知識というのは、単なる情報の集積ではなく、自分の思考と内面を通過した実存的なもののことを指す。

言い換えると、それは多分に思想的なものだと言っていいかもしれない。知識と思想は本来は異なるものだが、今の私は、真に実践的な知識とは多分に思想的なものであると考えるようになっている。

自らの思想を育んでいくことの意味がここにある。HGSEには優れた教育思想家が何人かいる。

彼らとの交流を通じて自らの思想を育んでいきたいという思いが高まる。日々の探究活動そのものが世界への関与であり、探究で得られた知見を共有していくこともまた世界への大きな関与なのだと思う。

今日はこれからモーツァルトに範を求めて一曲作り、曲が出来上がり次第ホテルを出発してHGSEに向かいたい。今日の15:00から行われるスティーブ・サイデル教授との面談が今からとても楽しみだ。

面談では自分の純粋な関心事項を共有し、サイデル教授がディレクターを務めるプログラムと自分の関心事項がどれだけ合致しているのかを確かめたい。ボストン:2018/10/3(水)08:11

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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