ボストン滞在の四日目も充実感のうちに終わりに向かっている。時刻は午後の七時に近づきつつあり、つい先ほど夕食を食べ終えた。
今日は午前中から夕方までボストン美術館に滞在していた。五年振りに美術館を訪れると、とても懐かしい感じがした。興味深いのは、展示されている作品の中で五年前にも見たことを覚えているものと、今日初めて出会ったかのような作品が混じっていたことであった。
館内がこれほどまで広いことをすっかり忘れており、これは一日かけても全ての作品をじっくり見ることはできないとすぐに気づいた。そのため私はいくつかの作品に絞り、そこで多くの時間を費やすことにした。
一階のフロアにおいて私が注目をしたのは、オディロン・ルドンの作品であった。その作品が遠くから目に入った瞬間に、それがルドンのものであるとすぐにわかった。
ちょうど二ヶ月前に、オランダのクレラー・ミュラー美術館でルドンの特別展示を見てからというもの、ルドンからは随分と多くのインスピレーションを受けている。今日再びボストン美術館でルドンの作品に出会えるとは思ってもみなかったため、嬉しい再会であった。
ルドンの色使いに惚れ惚れしながら作品を後にすると、二階で再び嬉しい再会があった。あるだだっ広い部屋に入った瞬間に、遠くの壁に見覚えのある光の色使いをしている作品があった。
すぐにそれがウィリアム・ターナーの作品であることがわかった。ターナーの作品に関しては、およそ三ヶ月前にロンドン・ナショナルギャラリーでいくつかの作品を見ており、ターナーの画集を購入するほど彼は気になる画家であった。
ルドンと同様に、ターナーに関しても非常に個性的な色使いをしており、ターナーに関しては幻想的な光に特徴があると言えるだろう。ターナーの作品が飾られている部屋のすぐ隣には、ボストン美術館の西洋画がもっとも売りにしているであろうモネの作品だけが飾られた部屋がある。
その部屋に入った瞬間に、私は思わずため息を漏らした。それぐらいに素晴らしい作品が全ての壁に飾られていた。
モネに関しても、ロンドン・ナショナルギャラリーの特別展示で数多くの作品をこの目で直接見る機会に恵まれ、それ以降、モネに関しても画集やドキュメンタリーDVDを購入するなどして、モネの生涯と芸術思想をより深く知ろうとしていた。
今回ボストン美術館を訪れるに際して、事前にどのような作品があるのかを一切調べていなかったため、逆にそれが功を奏して、嬉しい再会の連続であった。その他にも私は、ルノワールの特に四枚の作品とゴッホの一枚の作品を鑑賞することに多くの時間を使っていた。
それ以外には、アジアの作品が所蔵されているコーナーの中でも、仏像を熱心に眺めていた。特に、ボストン美術館の二階には「仏像部屋」と呼ばれる場所があり、そこは部屋を意図的に暗くしており、仏像がライトアップされている。
その部屋はどこか結界のようなものが存在しており、他のフロアとは完全に流れているエネルギーが異なることがわかった。私はその部屋の長椅子に腰掛け、しばらく目を閉じて瞑想をしていた。
こうした神聖な空間が美術館内に醸成されていることは大きな驚きであった。そして私は、五年前の自分もこの仏像部屋に大きな感銘を受けていたことを思い出したのである。
この仏像部屋を離れることはとても名残惜しく、私は再びこの場所に来ることを静かに誓った。いや、それは誓う必要もないほどに必然に起こりうることのように思えた。
そこでふと、五年前の私もまたここに来るという誓いを立てながらも、そうした誓いを超えて、自分が必ず再びここに戻ってくるような予感がその時にしていたことを覚えている。確かにその予感は五年後の今日実現された。
今日の予感がまた実現する日はやってくるだろうか。近い将来またやってくるかもしれない。ボストン:2018/9/30(日)19:10