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3195.【ボストン旅行記】自分に歩ける世界まで


時刻は午後の七時半を迎えた。この時間帯のボストンはもうすっかり暗闇に包まれている。

ホテルの自室から真っ暗な外の世界を眺めながら、通りの向こうにあるチャールズ川に思いを馳せる。先ほど、自分の人生がまたわからなくなっていた。

結局自分は毎日何をして、いったい自分はどこに向かっているのだろうか。そのような問いが脳裏を横切った。

自分の中では自分が何をしていて、どこに向かおうとしているのかを分かっていながらも、自分があまりにもこの世界を知らず、そしてあまりにもこの世界に対して無力な存在であることを突如として突きつけられたような感覚があった。

なぜ今私はボストンにいて、欧州で生活をしているのか。なぜ今この瞬間の自分の人生が今ここにあるのか。

この世界に関与をしていくための何物も、今の自分にはないのだということを改めて知る。無知であり、無力である一人の存在がここに一人いる。

自分の学びを根本から変えていかなくてはならない。日々の生き方を根本から変えていかなければならない。

さもなければ、一人の社会的な存在として、この世界と真に繋がりながら生きていくことなどできはしないだろう。明日から、今日からもう一度、自分の日々を、そして人生そのものを見直さなければならない。

ボストン滞在の二日目がゆっくりと終わりに差し掛かっている。振り返ってみると、今日という一日が存在していたことに驚く。

覚醒意識の中で、様々な事柄が映画のシーンのように流れ去っていった。一日が流れ去り、また別の一日がやってくる。

生きるということがどういうことなのか本当にわからなくなってくる。自分の内側には閉じられた一つの世界があるのと同時に、それは外側の世界に完全なまでに開かれている。

究極的に閉じられていて、究極的に開かれている内側の世界のこの感覚に対して、今の私は少々戸惑っているのかもしれない。なぜ究極的に閉じているはずのものが、究極的に開くのだろうか。

究極的に閉じられていることに対して恐怖感を抱き、究極的なまでに開かれていることに対しても恐怖感を抱く。それはそれがなぜなのかわからないということに対する恐怖である。

究極的に閉じていて、究極的に開かれているという矛盾するものを、一人の人間の内面世界以外に見つけることはできない。世界がますますわからないものに見えてくる。

人間存在について学べば学ぶだけ、それがわからなくなってくる。もはや自分の存在も、自分の人生すらもがわからなくなってきている。いや、それは自分の存在だからこそ、自分の人生だからこそわからなくなってきているのかもしれない。

日本を離れて早いもので七年の月日が経った。結局この七年間の月日をかけてわかったことは、自分の存在も人生もわからないということかもしれない。

自分はまだ何もわかっておらず、これからも無知であることは変わらないだろう。おそらくここから新たな学びを始めていく必要がある。

それはもはや学びという言葉では括れない類のものであるがゆえに、真の学びであると言えるだろう。ようやく、ようやく自分の学びが始まろうとしている。

今日この日から再び人生をやり直そうと思う。もう一度全てを一から学び直そうと思う。

無知で無力な私でも、きっとこの世界への関わり方があるはずだ。こんな自分でも一人の人間として生きることは可能なはずなのである。

もうそれを極限まで信じるしか前へ進めなくなった。歩けるところまででいい。私はこれからの人生をかけて、自分に歩ける世界まで歩んでいこうと思う。ボストン:2018/9/28(金)19:59

No.1329: A Transition of Sunrise Glow

Colors of sunlight in the morning are changing moment by moment.

Looking at the spectacle, I’m thinking about today’s work. Groningen, 09:32, Friday, 10/19/2018

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