時刻は午前八時半に近づきつつあり、あと三十分ほどでスキポール空港に到着する。列車の窓の外にはのどかな風景が広がっている。
今日のオランダの天気は晴天であり、ほのかな朝日が地上に降り注いでいる。今日は木曜日であるが、いつもの通り、平日と休日の区別がもはや私にはない。
欧州での生活を始めてから今年で三年目を迎えるが、その間に私の時間感覚は随分と変容したように思う。平日と休日の境目がなくなっているというのは決して悪いことではなく、時間を区切ることなく、一つの全体としての時間を生きられるようになってきている証拠である。
言い換えると、自分の人生を流れる固有の時間と真に一体になって生きられるようになっているということを意味する。こうした時間感覚が涵養された背景には様々なことが考えられるが、一つには日々絶えず、自分の内発的な動機に基づく活動だけに従事してきたことが大きいだろう。
外発的な動機に基づいて日々を生きることは、結果として外的な時間に沿って生きることを強制させられる。一方で、内発的な動機に基づいて日々を生きることは、絶えず自分の内側の固有な時間感覚に基づいて生きることを促す。
これまでの欧州生活では、そうした日々を送ってきた。これからもそのように生き続けていくだろう。
自分の内発的な動機によってなされる活動はとてもシンプルなものだった。日記、作曲実践、そして読書。それら三つだけが残った。
おそらく、今後の人生をこれら三つの活動を通じて生きていくことが、自分の人生を生きることなのだろう。もちろん、その他にも諸々の仕事に従事するだろうが、究極的な内発動機に基づいてなされる活動は上記の三つに絞られるように思う。
読みに読み、書きに書き、作りに作る生活。読むこと、書くこと、作ることに関しても究極的な目的が自己の内側に横たわっているように思うが、それを言葉にしてしまった途端に、それが外的な目的に姿を変えてしまうかもしれない。
そうしたこともあり、今はあえてそれらを言葉にしない。言葉にならない感覚のまま、読みに読み、書きに書き、作りに作るという日々をこれからも送っていく。
あと少しで空港に到着したら、速やかにセキュリティーを通過し、空港のラウンジでゆっくりとしたい。フライトを乗り逃さないように、搭乗便の英数字を確認し、搭乗が始まる少し前まではラウンジで過去の日記の編集を進めていきたいと思う。
明日と来週の月曜日にハーバード大学教育大学院のクラスに参加することに向けて、機内では、それらのクラスの課題に取り組む。フライトの時間が七時間ほどあるため、それらの課題以外には、デスクトップ上に保存していた諸々の論文を読み進めていきたい。
特に、発達心理学に造詣の深い心理学者かつ経営学者であったエリオット・ジャックスの論文を読み進めていく。ボストン旅行の間にそれらの論文を読み、デスクトップを整理したいと思う。
朝日の輝きがより一層強さを増し、スキポール空港に到着するまであとわずかになったことを知る。フローニンゲン:2018/9/27(木)08:39
No.1327: Communication between Two Worlds
I went running today after a long time, which made me feel refreshed very much.
I found the unity between mind and body. Groningen, 17:29, Thursday, 10/18/2018