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3186.【ボストン旅行記】安住の地に向けての想い


たった今、汽笛がなり、スキポール空港に向けた列車がフローニンゲン中央駅を出発した。今日のフローニンゲンはここ最近の冷え込みとは打って変わり、早朝でさえもそれほど寒さを感じなかった。

起床してすぐに浴槽に浸かり、身体を温めたことも功を奏していたのかもしれないが、寒さを感じさせずに自宅から駅まで歩くことができた。むしろ途中からは汗ばむぐらいであり、ジャケットを脱いで早朝のフローニンゲンの町を歩いた。

時刻はまだ七時前であるから、今はまだ辺りが暗い。ここから薄暗い時間がやってきて、もう一時間すればすっかりと明るくなるだろう。

フローニンゲンの中央駅に到着した時刻は、早すぎず遅すぎずの時間であり、コーヒーを購入したらちょうど良い時間であった。今日はこれから過去の日記の編集をしたいと思う。

先月の北欧旅行の最中に言及していた通り、旅の最中には過去の日記の編集がはかどる。旅をしながら今その瞬間を十分に生き、同時に過去の自分が書いた文章から再び現在に向けて内省を行っていく。旅はそのようなことを可能にしてくれる貴重な機会である。

北欧旅行の際には、出発時にあまり日記を書くことができず、旅に向けた心身の準備が整っていない感覚があったことを思い出し、今朝は自宅を出発する前に日記を一つ書いた。今回のボストン旅行でも、旅の過程で考えたことや感じたことを日記に書き残しておきたい。

おそらく私にできることはそれくらしかないだろう。逆に言えば、それを行うことが自分の大切な役割なのかもしれないと思う。

昨日もふと、確かに私は再び大学院に所属をし、自らの探究を深めていきたいと思っている。それは四つ目の修士号につながるかもしれず、その後に博士課程に行くかもしれない。

しかし仮に博士課程に進学したとしても、その後にどこかの大学で教鞭をとっている自分やどこかの大学に所属しながら探究をしている自分の姿を想像することはできない。組織に所属できない自分がいることを十分に知っている。

自分の探究を真に深めていくためには、博士号を取得した後にはどこかの大学や組織に所属してはならないのだという思いが強くなる。そこから自分の居場所について考える。これは難しい問題だ。

私はよく、自分がどこにいても何をしても、異邦人のような感覚がするのである。それは日本にいてもだ。むしろ日本で生活をしていた時の方が、今以上に自分が異邦人であることを意識していたように思う。

これは自分の居場所を見つけるということや、自分の居場所を作るという単純な話ではないように思う。自分が真にくつろげる安住の地について思いを馳せる。

列車の窓から景色を眺めると、空に綺麗な満月が浮かんでいるのが見えた。フローニンゲン:2018/9/27(木)07:01

No.1326: A Breeze of Cherry Blossoms in Autumn

A peaceful atmosphere is omnipresent in Groningen today.

Although it is already autumn, I can feel a breeze of cherry blossoms. Groningen, 10:15, Thursday, 10/18/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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