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3184. 複雑性科学の重要性の再認識


遠くの空に浮かぶ雲が西日によって光り輝き、その雲の近くには飛行機雲が見える。また、空を優雅に舞う鳥たちの姿も目に入り、顕現世界の多様性に改めて驚かされる。

そのようなことを思っていたのが昨日の夕方だ。今日も夕方の時間を迎え、辺りは穏やかな雰囲気に包まれている。

幸いにも、明日からのボストン旅行に関しては滞在期間中ずっと天気が良いようだ。もちろん、天気は予測の難しいダイナミックシステムであるから、折り畳み傘を忘れずに持参したい。

今日も一日中書斎の中で過ごしていたが、秋のそよ風の動きを窓から眺めることを随分と楽しんでいた。私たちの人生が多様な形で進んでいくのと同じように、そよ風の動きも実に多様である。

この世界は本当に多様性で満ち溢れている。それは言い換えれば、この世界には、置き換えることが不可能な固有の存在で溢れているということだ。

今日の午前中に行われた協働プロジェクトに関するミーティングの中でも、一人一人の人間の発達や学習の固有性に関するテーマが少しばかり取り上げられた。

私たちの発達や学習は固有であるのと同時に、普遍的な特性を持つことも確かだ。まさに発達心理学の貢献の一つは、発達や学習のプロセスの多様性を尊重しながらも、そこに見られる普遍的なプロセスを見出したことにあると言えるだろう。私たちの発達や学習は、固有性を持つのと同時に、普遍性も兼ね備えているということを忘れてはならない。

今日は旅行に向けた準備もあったため、読書に関しては今のところ、“Rethinking the Education Mess: A Systems Approach to Education Reform (2013)”を読んだことに留まる。ハワード・ガードナー教授が執筆した“The Disciplined Mind: Beyond Facts and Standardized Tests, the K-12 Education That Every Child Deserves (1999)”については、ボストン旅行から戻ってきてから読むことにする。

本日読んだ書籍は今回が二読目であるが、いろいろと考えさせられることがあった。最たるものとしては、人や組織は非常に複雑なシステムであり、人や組織の発達を支援していくことの困難性である。

そもそも私たちは、事物の「ありのままの姿(as they are)」を見ているのではなく、その代わりに、私たちは事物を「私たちとして(as we are)」見ている。すなわち、私たちは事物の複雑性をそのまま認識することはできず、私たちの認識の成熟度に合わせる形でそれを捉えていくことしかできない、ということである。

現在、教育哲学の探究に並行して、フローニンゲン大学で探究を続けていた複雑性科学に関する探究を改めて行う必要性を感じている。人や組織の発達に関わる機会が増えれば増えるほど、それらの複雑性に私自身が常に驚かされてばかりであり、複雑性科学の知見は、複雑な現象の複雑性をないがしろにしない形でその現象に向き合っていく道を提供してくれる。

確かに私は、もはや複雑性科学の分析ツールを使って研究することに情熱はほとんどないのだが、複雑性科学の発想の枠組みは人間や組織の発達現象を理解する際に極めて重要であり、おそらくこの知見がなければ、発達現象の説明はひどく限定的なものになってしまうと考えている。

ボストン旅行から戻ってきたら、教育哲学及び複雑性科学に関する書籍を再び旺盛に読み進めていこうと思う。フローニンゲン:2018/9/26(水)17:02

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